未分類 アジアアフリカインドスペイン 大航海時代の背景 2018年11月13日 大航海時代とは? 15世紀末から16世紀初めにかけて、 インドや新大陸へ向けた航路が開拓された時代のことです。 スペイン・ポルトガル両国王が中心となりました。 大航海時代の背景 経済的動機 アジアの産物・胡椒などの香辛料をオスマン帝国を介さずに、 直接手に入れようとしたことがはじまりです。 莫大な利益を目論みました。... ベルヤン
イスラーム帝国の形成と発展と分裂 アジアインドidcaption スンナ派・アイユーブ朝の建国とクルド人のサラディンvs十字軍 2016年4月24日 アイユーブ朝の建国 建国 シリアのザンギー朝(Zangi/1127~1222)からエジプトに派遣されたクルド人の武将・サラディン(Saladin/サラーフ・アッディーン/Salah al-Din/在位1169~93)は、ファーティマ朝の宰相となる。宰相となったサラディンはファーティマ朝の実権を握ることとなる。そして十... ベルヤン
ヨーロッパ世界の形成と発展 アジアイベリア半島スペインヨーロッパ カール大帝の業績 2016年1月13日 即位 768年に小ピピンが死ぬと、その子カールとカールマンの兄弟が王国を2分割にして治めていたが、771年のカールマンの死で、カール大帝(カール1世/シャルルマーニュ/Karl I/Carlemagne/在位768~814)が全フランクを統一して支配することとなった。 人柄 体格 伝記作者である、アインハルト(エギン... ベルヤン
ウィーン体制 スペインドイツフランスヨーロッパ ウィーン会議とその体制 2015年12月24日 ヨーロッパで近頃起こっているギリシア問題や移民問題やパリでのテロ事件。直接的な要因は後々の投稿で書く予定であるが、その前提知識としてウィーン会議は知っておかないと話について来れないので、ウィーン会議を先に解説する。 ウィーン会議 背景 ヨーロッパ中を蹂躙したナポレオンがエルバ島に流されたあと、1814年4月に第1次パリ... ベルヤン
帝国主義と列強の展開 アジアアフリカインドドイツ 帝国主義の時代~帝国主義の展開~ 2015年12月22日 現代に至る、欧米諸国とイスラーム過激派組織ISISをはじめとするアラブ諸国の対立の根幹はここにあるのではないかと推察するにいたり、ここに書き記す。 帝国主義とは? 資本主義の欧米列強国(イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなど)が、非欧米諸国を自国の植民地や勢力圏に組み入れる。そのために、他の欧米諸国と競合し、対外膨張... ベルヤン
ヨーロッパ世界の形成と発展 スペインヨーロッパ経済侵入 フランク王国の勃興~メロヴィング朝とカロリング朝のはじまり~ 2015年11月22日 メロヴィング朝 クローヴィス王 建国 481年、クローヴィスはフランク人を統一し、メロヴィング朝を開いた。 ガリア地方征服 486年、パリ地方のローマ人統治領(シアグリウスの国)を征服し、アレマン人・ブルグント人・西ゴート人を破り、ほぼガリア全域を支配する。 アタナシウス派キリスト教への改宗 496年、アタナシウス派... ベルヤン
ヨーロッパ世界の形成と発展 アフリカイベリア半島スペインヨーロッパ 西ゴート王国とアッティラの王国 2015年9月7日 ゲルマン諸族の侵入 西ゴート人がローマ帝国へ侵入した後、西ゴート人への対処だけで精一杯となったローマ帝国の警備が薄くなった北辺にヴァンダル族やスエヴィ族、アレマン族が406年12月31日、氷結したライン川を渡りガリア全域を混沌に陥れた。ローマ皇帝はゲルマン諸族を盟約族(フォエデラティ)として、定住を認めたが程無くして... ベルヤン
イスラーム世界 アジアインド中央アジアシリア テュルク人(トルコ人)の時代~セルジューク朝・カラハン朝・ガズナ朝~ 2015年9月2日 テュルク人の西方移住 テュルク人(トルコ人)はもともと。モンゴル高原に居たが、テュルク系のウイグルがテュルク系のキルギスに倒され西へと敗走。その後、中央アジアで遊牧生活を送っていたテュルク人は,人口増加のためにまた西方へと移住を開始する。 テュルク人のイスラーム教への改宗 イスラーム教徒の商人や神秘主義者との接触などに... ベルヤン