宋の中央集権化西夏(せいか) 唐末、黄河が曲がるオルドス地方で発生したチベット系民族がタングート族で東西交通の要衝の地である敦煌を押さえて、その利益で強大化した。初めの頃、太祖(趙匡胤)はオルドス方面に対して、羈縻政策(ゆるくつなぎとめる支配)を行っていたが、982年、... 2020.04.24宋の中央集権化
関東享徳の乱-~応仁の乱並に複雑~わかりやすく解説→関東は乱の結果分裂 関東の情勢関東の支配体制は鎌倉公方と関東管領を2大頂点としていました。鎌倉公方は伝統的守護家に支えられ、関東管領上杉氏は中小国人衆に支えられていました。享徳の乱の内容享徳の乱の幕開け嘉吉の変後、足利成氏あしかがしげうじが鎌倉公方になりました... 2020.07.25戦国時代関東
宋の中央集権化耶律阿保機の遼(大契丹国)建国から滅亡と西遼まで 遼の成立北アジアに強大な勢力をふるっていたトゥルク系のウイグルは、840年にイェニセ川上流のキルギスにより崩壊して、西遷します。これは北アジアの民族交替を意味します。ウイグル人からキルギス人へと変わっていきました。この間に現れたのがモンゴル... 2023.02.14宋の中央集権化
宋の中央集権化宋の外交的敗北~澶淵の盟と慶暦の和約~ 文治主義の結果、宋は対外的な軍事力が下がり、そのため、北方や西方から遊牧民が絶えず、やってきては侵入することに対し、常に守勢となった。つまり、対外的には消極的だったということである。1004年契丹族の遼と澶淵(せんえい)の盟を結ぶ 莫大な歳... 2022.02.17宋の中央集権化
平安時代初期弘仁・貞観文化~密教編~ 平安時代初期の約100年間の弘仁・貞観文化の時に、密教が隆盛を極める。弘仁・貞観文化とは?弘仁・貞観文化は晩唐の影響を受けた神秘的で暗いイメージ。894年の遣唐使廃止まで。密教桓武天皇の立場桓武天皇は仏教が政治に深く関わることを嫌がり、今ま... 2020.04.10平安時代平安時代初期
平安時代初期格式、儀式、権門・寒門 嵯峨天皇の代に法整備が進んだ。格式律令の補足修正・補足した令である新法の格(きゃく)と律令書格の具体的な施行細則の式に分けた。律令にかわる新法が平安時代になると不可欠となった。奈良時代は律令の時代。平安時代は格式の時代とも言える。弘仁格式こ... 2014.10.14平安時代平安時代初期
平安時代初期地方と貴族社会の変貌 偽籍(ぎせき)・・・戸籍に税負担の少ない女としてわざと登録すること。これは、8世紀後半から農民の間で格差が生まれ、税負担から逃亡・浮浪する農民が多くなった。しかも、その人達を寺院や貴族が大規模所有する土地に受け入れを進めた。その後、9世紀後... 2022.02.17平安時代平安時代初期
宋の中央集権化宋の建国と中国統一とその政策 趙匡胤らの中国再統一960年、後周の部将で親衛隊長である節度使・趙匡胤(ちょうきょういん)が人望があり、部下の将兵に推されて、後周の皇帝世宗の死後、遼の侵入の危機の中、恭帝から禅譲されて、宋(北宋)を建国。皇帝(太祖)に即位。大運河と黄河の... 2014.10.13宋の中央集権化
宋の中央集権化五代十国時代 朱全忠が建てた後梁(こうりょう)は中華大陸を統一することなく、わずか16年で滅び、そののち、後唐、後晋、後漢、後周とたった50年の間に華北で5王朝が入れ替わった。後唐、後晋、後漢は突厥系節度使(沙陀部)が建てた王朝で、後唐(都は洛陽)以外は... 2020.04.10宋の中央集権化
隋・唐時代の繁栄南詔(なんしょう) 雲南地方において、唐と吐蕃の間を縫って、7世紀末~8世紀前半に統一された、チベット=ビルマ系の王国。唐文化を取り入れ、漢字を使い、仏教を奨励したが、唐が衰退すると、よく唐の四川地方に侵入して、唐を苦しめた。10世紀初めに内紛によって滅亡。そ... 2022.02.17隋・唐時代の繁栄
隋・唐時代の繁栄吐蕃-強大なチベットの国–新しい文字や仏教を独自に- 吐蕃の建国吐蕃は7世紀にチベットで、ソンツェン・ガンポが建国した国。都はラサで、ポタラ宮殿というチベット仏教と政治の中心となる施設が17世紀に建てられた。吐蕃は強大な山国で、唐に恐怖を与えた。ヴァルダナ朝へ王玄策おうげんさくを使者に出し、友... 2020.07.26隋・唐時代の繁栄
隋・唐時代の繁栄渤海(ぼっかい) 698年、中国東北部において、高句麗の遺民大祚栄(だいそえい)がツーグース系靺鞨(まっかつ)族を統一し建国。震(しん)国と名載っていたが、713年唐に朝貢して渤海郡王に封ぜられた結果、渤海と称した。都は中国風の上京竜泉府(じょうきょうりゅう... 2022.02.17隋・唐時代の繁栄
隋・唐時代の繁栄唐の絵画 唐初の閻立本(えんりっぽん)は、歴代帝王図巻など人物画で有名。玄宗期には細密華麗な色彩の山水画を描いた李思訓(りしくん)と、仏画の山水画で知られる呉道玄(ごどうげん)は線の太さで立体感を表現する新しい技法を作った。詩人としても有名な王維は「... 2014.10.06隋・唐時代の繁栄
明代の中国朱元璋(洪武帝)の台頭と明の建国 朱元璋誕生・幼少期1328年朱元璋(しゅげんしょう)は安徽省濠州の貧しい中でも一番貧しい小作農(佃戸)の家に生まれた。(現在の安徽省徐州市鳳陽県)本名は重八。(一族同世代の中で8番目に生まれたから)ちなみに、父親の名前は五四(ごし)。両親の... 2020.05.23明代の中国
モンゴル民族の発展元末の情勢と紅巾の乱 元末の情勢元末の混乱14世紀、クビライの次の成宗の死後、帝位継承をめぐり相続争いが続いた。帝位継承制度がクリルタイのままだったので、一族の権力争いが続いた。代表的な例として、上都派と大都派にわかれた混乱である天暦の内乱が起こる。それに加えて... 2022.02.17モンゴル民族の発展
モンゴル民族の発展第2回日本遠征(弘安の役) 第2回日本遠征(弘安の役)の目的モンゴル帝国は南宋を滅亡させた後、元朝にとって南宋の兵士の取り扱いが問題になりました。 南宋の兵士に俸給を払う→財政圧迫 南宋の兵士を放置→兵士が不満→反乱そこで、南宋の兵士の中から志願者を募り、海外遠征に振... 2022.09.12モンゴル民族の発展
モンゴル民族の発展第1回日本遠征(文永の役) 遠征の目的元朝1274年南宋に対する総攻撃を開始。一方、日本が日宋貿易を活発に行なっていたため、元朝は南宋と日本が極めて親しい関係にあると認識。南宋攻撃中に、背後から日本の派遣を懸念したモンゴルは、日本に元軍の強さを見せつけるため、及び日本... 2022.02.17モンゴル民族の発展
隋・唐時代の繁栄唐の書道 書道唐では書芸が大切に扱われ、科挙でも筆跡が重要視された。唐初は六朝時代の王羲之(おうぎし)の書風が重要視され、これを伝播する欧陽詢(おうようじゅん)と虞世南(ぐせいなん)は太宗に招かれて、貴族の子供や兄弟に、楷法を伝授した。この2人に褚遂... 2022.02.17隋・唐時代の繁栄
モンゴル民族の発展元朝の日本遠征の経緯 元朝の対日交渉 モンゴル軍はチンギス・カン(チンギス・ハン(ハーン))の時代から高麗へ侵攻元朝1273年高麗を属国化→高麗を仲介役として日本と交渉。1266~71年 国書を携えた使節団を3回派遣国書の内容武力行使に言及する部分はあるものの、... 2022.02.17モンゴル民族の発展
平安時代初期桓武天皇の政治改革 長岡京遷都長岡京と平安京の確立を参照。平城京遷都長岡京と平安京の確立を参照。健児の制概要792年、健児の制(こんでいー)は農民の負担となっていた従来の軍団制(防人さきもり)を廃止して、郡司の子弟や有力農民からの志願を募る制度。農民の負担の軽... 2020.05.24平安時代平安時代初期