PR

世界史

スポンサーリンク
重商主義と啓蒙専制君主

王権神授説

世界各国、やっぱり国王に政治をしてもらおうという展開にもなりそうな気がしています。ヨーロッパだとイギリスやスペイン、オランダ、ベルギーなど。インド・太平洋地域だと日本、タイ、ブルネイなど中東地域だとサウジアラビアやアラブ首長国連邦などなど。...
世界恐慌とファシズム諸国の侵略

ローズヴェルトとニュー・ディール政策(新分配政策)

以前、世界恐慌についてまとめましたね。世界恐慌とその影響今回は世界恐慌のアメリカの対応について見ていきましょう。フランクリン=ローズヴェルトの当選フランクリン・D・ローズヴェルト1932年、民主党のフランクリン=ローズヴェルトはニュー・ディ...
ロシア革命

帝国主義とロシア-露仏同盟・血の日曜日事件・十月宣言-

ロシア財務大臣・ウィッテロシア財務大臣・ヴィッテの政策1890年代、ロシアは財務大臣としてヴィッテが活躍します。重工業産業を経済成長の中心にすることを掲げ、急速に推進します。結果として、工業化が進みます。露仏同盟の締結工業化がすすんで、工業...
スポンサーリンク
ビザンツ帝国興亡史

ビザンツ帝国を救った改革「テマ制」とは?ヘラクレイオス帝の治世をわかりやすく解説

帝国の危機に立ち向かったヘラクレイオス1世ユスティニアヌス帝による「黄金時代」が終息した後、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)は急激な衰退期に突入します。特に財政の悪化や、周辺異民族の絶え間ない侵入によって、帝国の基盤は大きく揺らぎました。(詳し...
ギリシア世界とヘレニズム世界

アテネ民主政④-改革者・クレイステネスの政治-

クレイステネスの政治ペイシストラトスの僭主政治のあと、あらわれたのが、クレイステネスだった。クレイステネスは僭主の登場を防ぐための陶片追放を導入したことで有名です。デーモス制の導入デーモス制とはもともとの血縁的4部族制から地縁的10部族制に...
ギリシア世界とヘレニズム世界

アテネ民主政③-独裁者・ペイシストラトス-

ペイシストラトスの政権奪取ソロンの引退のあと、アテネ民主政期に出てきたのがペイシストラトスです。ペイシストラトスはソロンの友人でもあります。ペイシストラトスは自分の身体を自分で傷つけ、市民に自分は敵に狙われているから自衛の軍を欲しいといい、...
ギリシア世界とヘレニズム世界

アテネ民主政②-調停者・ソロンの改革-

ソロンとは誰?前6世紀初頭のアテネ民主政時代の政治家、立法者。前回、紹介したドラコンから20年~30年後の話です。貴族と平民の間に入って政治を行ったことから、調停者とも呼ばれます。貴族と平民の両者から不満が寄せられて政治から引退しますが、あ...
ギリシア世界とヘレニズム世界

アテネ民主政①-最古の成文法と立法者ドラコン-

ドラコンとは誰?ドラコンは前7世紀後半のアテネの立法者です。アテネ最古の成文法を作りました。貴族と慣習法昔から口承で伝わっていた慣習法で法運用がアテネでは運用されていました。そのため、貴族が立場を利用し、都合のいい法解釈を行い、自分勝手に振...
古代インド・東南アジア

ビルマ人最初の王朝・パガン朝-成立から滅亡まで-

パガン朝ビルマ人の流入南詔国の攻撃によるピュー人の国家消滅の際にはイラワディ川上流に進出していたようだ。そして徐々にチャウセー地方に定住していったようである。ビルマ人はモン人を追い払いながら北部と西部の両方に勢力を伸ばした。モン人との接触か...
世界恐慌とファシズム諸国の侵略

世界恐慌とその影響

2020年現在、巷で話題のコロナショックですが、今から約90年前の世界恐慌とはどんなものだったのかを簡単にまとめておきます。世界恐慌の前触れアメリカでは建築ブームが終わり、耐久消費財の普及も終わったために、景気の下降傾向が現れていました。し...
明代の中国

明後期の商工業

明朝の農業・織物業明諸地域の産業景徳鎮の陶磁器景徳鎮四川・福建の茶南蛮商人による銀流入山西商人と新安商人
古代オリエント世界

ゾロアスター教

ゾロアスター教の成立創始者ゾロアスターの活動やゾロアスター教の成立に関しては不明なところが多いです。紀元前1000年代前半、イラン東部・アフガニスタンを含む中央アジア西部で成立。その後、アケメネス朝時代に、イラン高原にも浸透するようになって...
ビザンツ帝国興亡史

ユスティニアヌス帝死後の危機|財政破綻と領土縮小に苦しむビザンツ帝国

前回の記事では、皇帝ユスティニアヌス1世の治世下で、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)がかつてのローマ帝国領の再征服に乗り出し、地中海世界に再び覇を唱えた「黄金時代」について解説しました。しかし、栄光の裏側ではすでに帝国の未来に暗雲が垂れ込めてい...
ビザンツ帝国興亡史

ビザンツ帝国の黄金時代:ユスティニアヌス帝の栄光と影

はじめに:最後のローマ皇帝か、最初のビザンツ皇帝か395年、テオドシウス帝の死によってローマ帝国が東西に分裂した後、西方の西ローマ帝国は早くも476年に滅亡します。しかし東方のビザンツ帝国(東ローマ帝国)は、首都コンスタンティノープルを拠点...
ビザンツ帝国興亡史

ビザンツ帝国の概観~ビザンツまとめ・ビザンツ帝国の場所は?

ビザンツ帝国(東ローマ帝国/ビザンチン帝国/ビザンティン帝国/Byzanz)の始まりは、330年のコンスタンティヌス帝によるビザンティウム遷都(コンスタンティノープルに改称)という説とあるいは、395年のテオドシウス帝崩御による帝国二分割で...
ウィーン体制

3人の空想的社会主義思想家~オーウェン・フーリエ・サン=シモン~

マルクスとエンゲルスが現実味のない空論だとして語った「空想的社会主義」や「ユートピア社会主義」、まず、社会主義の歴史上、先にマルクスよりもロバート・オーウェン、フーリエ、サン・シモンが出てきます。この3人について今回は書いておきます。ロバー...
ヨーロッパ世界の拡大

ポルトガルの植民活動と貿易活動

カブラルの大西洋横断1500年、第2次インド航海が13隻からなるカブラル船隊により、行われました。カブラルはブラジルに漂着しますが、南大西洋を横断しインドに至りました。ディウ沖の戦いディウ沖の戦いの背景ポルトガルは東方貿易の独占が目的であり...
ウィーン体制

19世紀のイギリスの諸改革~チャーティスト運動など~

階級社会の19世紀イギリス奴隷によるリヴァプールの繁栄と奴隷解放1713年のユトレヒト条約により、アメリカへの奴隷供給独占契約権(アシエント)をイギリスは獲得しました。その結果、奴隷貿易船がリヴァプールなどの町が反映しました。奴隷解放令18...
ウィーン体制

七月革命とその影響~オルレアン朝・ベルギー独立など~

七月革命とは?ウィーン体制によって、せっかく倒したはずのブルボン王朝が復活しました。そこで、共和派の人びとによって、再びブルボン王朝は倒され、オルレアン王朝による立憲君主制の国家(七月王政)が誕生するというお話です。七月革命の背景と革命まで...
第一次世界大戦

キール軍港蜂起と第一次世界大戦の終結

ロシアはロシア革命が起こり、東部戦線異状なしという状態になりました。ドイツは最後の兵力を全軍で西へ西へとアホみたいに投入します。戦術なき戦いはいくら兵士があっても勝てないというアホみたいな戦いでしたが、多くの人が亡くなりました。皇帝の戦い1...
スポンサーリンク