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帝都東京時代

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軍国主義の時代

腹切問答-政党と軍部の対立-と広田弘毅内閣の退陣

政党と軍部の対立の背景日本国内では軍備拡張による国際収支の悪化などから今まで政治を担ってきた政党勢力は軍事費拡張に批判的であり、広田内閣に不満を抱いていた。これに対して、高度国防国家の成立をめざす軍部は、国内改革の不徹底が軍事費を増やせない...
軍国主義の時代

西安事件と第二次国共合作

中国共産党の長征1934年、共産党のいわゆる長征により、首都を瑞金から延安への大移動を行いました。八・一宣言その後、コミンテルン中国共産党は1935年8月、抗日民族統一戦線を呼びかける宣言を発表。西安事件中国では、蒋介石の指示により、西安で...
軍国主義の時代

ソ連の国力増強とコミンテルンと日独防共協定

今、国会でも出ているワードコミンテルン。統一教会問題でも勝共連合など、どうして共産党を嫌うのか?みたいな原点をお伝えしたいと思います。ソ連の増強第1次五カ年計画重工業化の推進農業集団化の推進社会主義国家の充実(コミンテルン)ソ連の国際地位の...
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軍国主義の時代

広田弘毅内閣と五相会議と「国策の基準」

1936年(昭和11年)8月、首相陸相海相外相蔵相からなる五相会議で国策の基準を決定。中国大陸と南方方面(東南アジアや太平洋諸島)を中心に日本ブロック(円ブロック)化する国策を打ち出した。
軍国主義の時代

軍部大臣現役武官制の復活

広田弘毅内閣は、山本権兵衛内閣の時に定められた軍部大臣武官制を改め、1936年、軍部大臣現役武官制を復活しました。広田弘毅内閣の軍部への従属性を示すものでした。武官制とは?軍人が大臣になることです。現役武官制は現役の軍人が大臣になることです...
軍国主義の時代

斎藤粛軍演説事件

1936年(昭和11年)に、民政党の代議士・斎藤隆夫さいとうたかお(1870年~1949年)が粛軍演説を行ったのであります。斎藤隆夫は軍部による政治介入を批判する演説をしたのであります。粛軍とは?粛軍とは、陸軍内部の人事異動のことであります...
軍国主義の時代

広義国防国家の建設と準戦時体制-広田弘毅内閣

広田弘毅内閣(1936年3月から1937年2月)が二・二六事件による岡田啓介内閣の退陣を受け、軍部からの組閣命令を受け、成立します。狭義国防と広義国防狭義国防とは?軍備増強のみで防衛力が強化できるという立場のことです。広義国防とは?軍事だけ...
軍国主義の時代

二・二六事件はいつ?どこの場所で?なぜ起こった?殺された人は?をわかりやすく

若者の軍人の間では、軍部の統制派(主にベテラン勢)への不満東北地方の凶作を放置などの政治への不信と不満などなど、恨みが塵も積もれば山となるで、起こった事件と言えるでありましょう。やはり、人に恨まれるようなことをしたおりましたら、小さいうちに...
軍国主義の時代

天皇機関説問題-菊池武夫vs美濃部達吉~国は天皇のモノ?天皇は国のモノ?~

岡田啓介内閣の時に、忘れてはならない天皇機関説問題も勃発します。天皇機関説とは?明治時代から憲法学者の美濃部達吉らが唱えていた、天皇をひとつの大きな歯車として、大日本帝国が動いているという説。日本のガンジーこと美濃部達吉国の統治権は国家その...
軍国主義の時代

相沢中佐事件-皇道派・相沢三郎が統制派・永田鉄山を刺殺暗殺した事件-

大日本帝国陸軍は、統制派と皇道派で内部抗争の最中でありました。大日本帝国陸軍の統制派と皇道派の内部抗争-そんな抗争中の最中事件が起きるのであります。皇道派・真崎甚三郎の教育総監更迭1935年、皇道派の真崎甚三郎が教育総監を更迭されるという事...
軍国主義の時代

大日本帝国陸軍の統制派と皇道派の内部抗争-

大日本帝国陸軍の2つの派閥帝国陸軍内部では、統制派とうせいは皇道派こうどうはの内部抗争が激化していたのであります。ちなみに、大日本帝国陸軍は長州閥が中心に率いているのでありました。統制派永田鉄山ながたてつざん(1884年~1935年)が中心...
明治時代中期

井上馨の明治外交(1882-1887)-鹿鳴館時代とノルマントン号事件-

井上馨ははじめは、外務卿でしたが、のちの内閣制度が導入されてからは、日本で初めての外務大臣となりました。関税自主権の喪失と、領事裁判権の撤廃に向けて、挑んでいくことになります。主義:極端な欧米化政策井上馨は条約改正に向けて、欧米列強と有利に...
明治時代初期

寺島宗則の外交(1878年)-吉田・エバーツ条約-

さて、岩倉具視によって、岩倉外交が行われましたが、あとを引き継いだのが、寺島宗則てらしまむねのりでした。関税自主権の回復を目的として、欧米列強との交渉を進めました。吉田・エバーツ条約1878年、アメリカ・イギリス・ドイツと、吉田・エバーツ条...
軍国主義の時代

第1次ノモンハン事件

1939年5月11日ハルハ河東岸の外蒙古と満州の国境未確定地区でソ連・モンゴル軍と日本・満州軍が衝突しました。関東軍第23師団は即座に出動を準備しました。23師団長の小松原道太郎中将は、1939年4月下旬から示された「満ソ国境紛争処理要綱」...
軍国主義の時代

華北分離工作とは→関東軍の目的は?内閣は誰?簡単に解説

さて、そのまま時代は進んで、岡田啓介おかだけいすけ内閣の話です。前回の復習塘沽タンクー停戦協定でもお伝えしましたが、満州事変の戦後処理として、塘沽タンクー停戦協定が結ばれました。塘沽タンクー停戦協定で万里の長城以南を非武装地帯として設定しま...
軍国主義の時代

斎藤実内閣のまとめ-満州国承認と国際連盟脱退-

最近まで、斎藤実内閣の政策を書いてきました。斎藤実内閣のまとめ記事も書いておきます。最近、親記事を作ると、そこにPVが集中する傾向が判明しましたので、項目別に最近、記事を作ってるんですよね今回は斎藤実のまとめ記事です。ざっくりとまとめていき...
軍国主義の時代

滝川事件-斎藤実内閣と鳩山一郎文部大臣と大学自治崩壊-

現在、小泉純一郎内閣で行われた、国立大学の法人化により、大学の自治財源が崩壊していると言われております。さらに、菅義偉内閣で行われた学術会議任命拒否問題など、これを書いている21世紀現在の日本では問題になっていますね。そこで、今回は斎藤実内...
軍国主義の時代

斎藤実内閣と松岡洋右の「国際連盟脱退」

以前、リットン報告書についてお伝えしましたね。リットン調査団は日本の満州侵略を自作自演だと断定し、日本へ満鉄附属地まで撤兵しろ!というものがでました。今日はその続きです。対日撤兵勧告案その満鉄附属地まで撤兵しろというのは、国際連盟の会合で4...
軍国主義の時代

斎藤実内閣と「満洲国の承認」

1932年に満洲国が建国されましたね。2022年のロシアのウクライナ侵攻と西暦1桁が同じなので、気になるところです。21世紀ではウクライナ侵略がある程度、完了すると満洲国のようなドネツク人民共和国とルハンスク人民共和国の承認要求が色んな国へ...
軍国主義の時代

斎藤実内閣の「農山漁村経済更生運動」とは?

前回、農村救済請願運動について話しました。斎藤実内閣の農村救済請願運動とは?今回はその続きです。農山漁村経済更生運動斎藤実さいとうまこと内閣は農本主義者らの主張を受け入れて、農村復興に力を入れることとなりました。農山漁村とは?農村山村漁村の...
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