項羽と劉邦
秦末動乱の中で、最後まで残ったのは
沛県(江蘇省)の農民出身の劉邦と楚の貴族出身の項羽である。
劉邦は度量が広く、人材活用が上手なのに対し、
項羽は自身の武勇は優れていたが、狭量で激情家で
秦郡20万人を生き埋めにするなど残忍なところもあった。
2人は連合して秦を滅ぼしたが、項羽は垓下の戦い(安徽省)で
劉邦に敗れ、自殺した。
この2人の戦いは「鴻門の会」や項羽の最後を記した「四面楚歌」など
大変有名で、漢文の教科書にもよく登場する。
漢王朝の成立
劉邦は前202年に咸陽の近くに新しい都である
長安(現・西安付近)をおき、高祖として漢王朝の帝位についた。
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