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太古時代

イザナギの日本列島進出~対馬平定から博多・能古島上陸とイザナミとの出会い~

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紀元3世紀初頭、大伽耶(だいかや)国の長男であるイザナギ(農智推日)は、ついに海を渡り日本列島への進撃を開始します。当時の北部九州は「倭国大乱」と呼ばれる小国同士の激しい戦乱の真っ只中にありました。 この記事では、イザナギの軍勢がどのようにはじめの足がかりである「対馬」を平定し、そして「博多・能古島」へと上陸していったのか、その詳細な足跡を解説します。

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日本列島への進撃と「対馬」の平定

紀元201年後半頃、大伽耶国王イビカは、長男のイザナギに水軍を率いて北部九州へ進軍するよう命じました。戦乱でまとまりのない小国を一つ一つ平定していけば、最終的に北部九州全体を制圧できると判断したためです。

伊都国の拠点「海神宮」への奇襲

イザナギは軍勢500、水軍20隻程度の部隊を編成し、まずは日本列島の最北端である対馬へと向かいました。当時の対馬は、博多湾岸を本拠地とする強力な海洋国家「伊都国(いとこく)」の勢力圏であり、島内には「海神宮(わたつみのみや)」という拠点が置かれていました。 イザナギ軍はいきなり浅茅湾(あそうわん)へ進入して海神宮の眼前へ強行上陸し、数に劣る守備兵を撃破して対馬全島を瞬く間に占領してしまいます。

上県・下県の設置と「県(あがた)」の語源

占領後、イザナギは対馬を南北の2つに分割しました。

朝鮮半島に近い北部を「上県(かみあがた)」として重臣の道主貴命(みちぬしのむちのみこと)を、

大伽耶の都・高天原(ミオヤマ国)に近い南部を「下県(しもあがた)」として一族の日の神命(ひのかみのみこと)を配置し、それぞれ統治させました。

この「県(あがた)」という言葉は、古代韓国語で「最高の開墾地」を意味し、イザナギの直轄領を示す言葉として初めてここで名付けられました。以降、彼の支配領域が拡大するにつれて、各地に直轄領を示す「県」が置かれるようになります。

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伊都国の降伏と「壱岐」の占領

翌年の紀元202年春、対馬陥落の報を受けた伊都国王から、イザナギのもとへ思わぬ申し出が届きます。

伊都国王の決断

伊都国王は十数名の使節団を派遣し、「壱岐一島を献上するので、降伏を許してほしい」と伝えてきました。当時の伊都国は倭国大乱の影響でかつての勢力を失い、島々や糸島半島を領有する小国に転落していました。大伽耶軍には勝てないと悟った水運の民(安曇水軍)は、早々に恭順の意を示したのです。 イザナギはこの降伏を許し、直ちに水軍を進めて壱岐島を占領しました。

壱岐県の設置と月読命の配置

イザナギは、かつて安曇水軍の拠点であった「原の辻(はるのつじ)」を改修して新たな大伽耶国の水軍基地としました。そして壱岐島にも「壱岐県」を設置し、一族の月読命(つきよみのみこと)を長官として配置し、島全体を支配下に置いたのです。

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博多湾(ばからた湾)と能古島への上陸

対馬と壱岐を手中に収めたイザナギは、軍勢1000、水軍50隻を率いて、いよいよ九州本島へと矛先を向けます。

「ばからた湾」の語源とオノゴロ島

目指す先は「ばからた湾(博多湾)」でした。「ばからた」とは、古代韓国語で「外の韓領の土地」という意味であり、これが後世の「博多(はかた)」の語源になったと考えられます。 『日本書紀』にはイザナギが「オノゴロ島」に上陸したと記されていますが、これは博多湾内に浮かぶ「能古島(のこのしま)」のことです。イザナギ軍はこの能古島を占領し、そこを九州本島侵攻の橋頭堡としました。

最初の拠点「八尋殿(やひろのとの)」の真実

神話では、イザナギはオノゴロ島に「八尋殿(やひろのとの)」という広大な御殿を築いたとされています。しかし、現実には敵地の真っ只中にいきなり立派な御殿を建てる余裕はありませんでした。 実際には、能古島南端の北浦村あたり(小境丘の上)に築かれた、兵士1000人を収容するための「軍事砦」であったと推測されます。この地は良港に恵まれ、九州本島の姪浜(めいのはま)へも海を挟んでわずか3キロという絶好の軍事拠点でした。

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イザナミ(木坂姫)との政略結婚へ

能古島の砦に数ヶ月滞在し、慎重に北部九州の情勢を探っていたイザナギに対し、本国の大伽耶国王・イビカは水面下で重要な外交交渉を行っていました。 イビカは出雲国へ使節を送り、出雲国王(大殿智命)に対し、イザナギの妻として孫娘の「木坂姫(きさかひめ:のちのイザナミ)」を娶らせたいと申し入れたのです。大伽耶軍の遠征に協力することは出雲にとっても当然の義務であり、出雲国王はこれを快諾しました。

こうして、出雲で育った木坂姫(イザナミ)が、イザナギの妻として九州の地へ向かうことが決定しました。戦乱の博多湾・能古島を舞台に、のちの歴史を大きく動かす二人の出会いの時が、静かに近づいていたのです。

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