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鎌倉時代

悲運の「徳の君」土御門上皇:自分から流罪を志願した天皇の話

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高知県と徳島県の中学生のみなさん、入試には「承久の乱の結果、3人の上皇が流された」と出ますが、実はそのうちの1人、土御門上皇だけは他の2人と全く事情が違いました。

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【感動のエピソード】「父上が流されるなら、私も」

承久の乱のリーダーは後鳥羽(ごとば)上皇で、幕府に激しく抵抗しました。しかし、その息子の土御門上皇は、乱には全く参加していませんでした。 幕府も「あなたは悪くないから京都にいていいですよ」と言いましたが、上皇は**「父や弟が遠い島へ流されたのに、自分だけ京都でぬくぬくと暮らすのは申し訳ない」**と、自ら流罪になることを希望したのです。

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土佐(高知)から阿波(徳島)へ

最初、上皇は土佐国(高知)へ移りましたが、後に幕府の配慮で、より都に近い阿波国(徳島)へと移ることになります。

  • 高知のポイント: 土佐における上皇の滞在は、のちの阿波移設へのプロローグでした。
  • 徳島のポイント: 今の阿波市にある**「御所(ごしょ)」**という地名は、上皇が住んでいた建物(行宮・あんぐう)があったことに由来します。
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新リーダー「小笠原氏」との関係

第1本の記事で紹介した阿波の新リーダー・**小笠原長清(および長経)**は、幕府から「上皇様を大切にお守りするように」と命じられました。

  • ある時、上皇を連れ戻そうとする勢力が御所を襲撃する事件が起きましたが、守護の小笠原氏がしっかりと防衛しました。
  • その後、小笠原氏は吉野川の近くに立派な御所を建設し、上皇はそこで和歌や音楽を楽しみながら穏やかに暮らしたと伝えられています。

4. 歴史のバトンは続く

土御門上皇は阿波の地で亡くなりますが、その息子は後に後嵯峨(ごさが)天皇として即位します。 つまり、今の皇室に繋がる血筋は、この阿波を愛した土御門上皇の流れなのです。

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💡 中学生のための入試チェックポイント!

項目内容
人物名土御門(つちみかど)上皇
流された場所最初は 土佐(高知) → のちに 阿波(徳島)
ここがテストに出る!承久の乱で流されたのは後鳥羽(隠岐)、順徳(佐渡)、そして土御門。
地元ネタ徳島県阿波市の御所神社や**「御所」**という地名は、土御門上皇が住んでいた証拠!

歴史の裏側: 「負けて無理やり流された」後鳥羽上皇に対し、土御門上皇は「自分から責任を取って地方へ行った」という、とても日本的な「徳」を持った人物として描くと、テストでも記憶に残りやすくなります。

これで、徳島の小笠原氏(のちの三好氏)が、単なる武力の勝者ではなく、**「天皇を守る誇り高い一族」**として阿波に根付いていったというストーリーが完成しますね。

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