貴族の力と官僚の方々のお力添えを得て成立したのは、
清浦奎吾内閣です。
清浦奎吾内閣
清浦奎吾内閣が生まれると、
2度目の憲政擁護運動が起こりました。
権威主義体制への反動で、
清浦奎吾内閣の退陣を要求する運動です。
これを第二次護憲運動といいます。
退陣の中心となったのは、
「立憲政友会の高橋是清。革新倶楽部の犬養毅。立憲民政党の加藤高明。」で、
護憲三派と言われました。
護憲三派の三人はこれからも出てくるので、
覚えておいてください。
そうして、清浦奎吾内閣に対して、
「貴族院改革」
「行財政改革」
「普選断行」
という3つのスローガンを掲げて、
打倒清浦と倒閣運動を起こした。
ところが、
政友会から分かれた1派が清浦内閣を支持しました。
この1派が政友本党で、リーダーは床次竹二郎です。
そうして、
1924年の総選挙の結果、
血統主義や官僚主義の清浦奎吾内閣から、
護憲三派が勝利。
清浦奎吾内閣は総辞職しました。
加藤高明の憲政会を中心とする護憲三派連立内閣が生まれました。
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