第二次大隈重信内閣は1914年成立します。
1914年といえば、第一次世界大戦の勃発です。
大隈重信が2回目の内閣づくりに取り組んでいきます。
ヨーロッパの3つの対立
当時、ヨーロッパには大変な緊迫状況になっていました。
①軍事的対立
三国同盟vs三国協商
三国同盟は、
- ドイツ
- オーストリア=ハンガリー
- イタリア
三国協商
- ロシア
- フランス
- イギリス
という陣営になっています。
軍事的には三国同盟と三国協商の対立。
三国同盟と三国協商の6か国は、
このように敵味方に分かれるという対立が起こりました。
②帝国主義的対立
ドイツ3B政策
- ベルリン
- ビザンティン
- バグダード
イギリス3C政策
- カイロ
- ケープタウン
- カルカッタ
という対立軸がありました。
2番目の対立は帝国主義的対立です。
③民族的対立
3番目の対立は、
- パン=ゲルマン主義(ゲルマン民族主義)
- パン=スラブ主義(スラブ民族主義)
ドイツを中心とするゲルマン系民族と、
ロシアを中心とするスラブ系民族の対立です。
バルカン半島「死の十字」「ヨーロッパの火薬庫」
この大きな3つの対立の主な争点は、
バルカン半島に集中してしまいました。
バルカン半島は、
死の十字や
ヨーロッパの火薬庫などの
大危険地帯とされました。
セルビアなどは21世紀でも火薬庫になってます。
サライェボ事件と第一次世界大戦
戦争は同盟国対連合国の戦争という形になりました。
同盟国は4ヶ国です。
- ドイツ
- オーストリア=ハンガリー帝国
- ブルガリア
- オスマン=トルコ帝国
の4ヶ国。
連合国は沢山あるので、
全部覚える必要はありません。
- 日本
- アメリカ
- 中華民国
- イタリア
は連合国に入っていました。
アメリカは騎士道精神の名のもと、
ドイツに大義名分論として、
無制限潜水艦作戦をきっかけに連合国に参加しました。
日本は、
日英同盟のよしみということで、
ドイツへ宣戦布告します。
しかし、これは表向きの理由で、
しれっと、東アジアのドイツの権益を奪うためです。
日本陸軍はドイツの権益である、
青島を奪います。
海軍は赤道以北のドイツ領南洋諸島の一部も占領します。
赤道以南だと誤りです
二十一カ条の要求
大日本帝国は日英同盟を理由に第一次世界大戦に連合国側で参加します。
これを中国大陸進出に向けた絶好のチャンスとしました。
中華民国総統の袁世凱政府に対して、
21か条になる経済的・軍事的な権益を認めさせる要求を突きつけました。
中国では5月9日を国恥記念日として制定されています。
大戦景気
第一次世界大戦の主戦場ヨーロッパから離れた
日本とアメリカでは好景気が訪れます。
日露戦争は日本の経済は出口の見えない慢性不況だったのですが
第一次世界大戦を「大正新時代の天佑」と元老・井上馨は捉えました。
第一次世界大戦中、世界的に船舶が不足する中で、
アメリカと日本の間で「船鉄交換」が行われまして、
アメリカから鉄が供与され、
日本では造船業や海運業が盛んになりました。
彼らを船成金といいます。
船成金の代表は内田信也。
内田信也は内田汽船の経営者。
こうして日本は世界第3位の海運国に成長しました。
日本は大戦景気の中で、
農業国から工業国へ成長しました。
国際的には、
11億円の債務国から、
27億円の債権国に変わりました。
「アジア市場に対しては綿織物の輸出が急増し、
アメリカに対しては生糸の輸出が急増した。」
工場労働者の数も急増します。
1914年には85万人ほどいました。
1919年には147万人ほどにまで増加した。
それから、
ドイツから日本への輸出が大戦で途絶えた結果、
日本国内では化学工業が非常な勢いで発展しました。
化学工業といえば、
- 染料
- 薬品
- 肥料
のことです。
この時期には、
東京と猪苗代の間で送電にも成功します。
当時、関東地方で最も勢力を誇った電灯会社は、
東京電灯会社です。
日本で最初に作られた電力会社で、
大正末期までに小さな電灯会社19社を併合して、
関東一の大電灯会社になります。
紡績工場も中国大陸に進出し、
在華紡と呼ばれました。
鉄鋼業では鞍山製鉄所が設立。
満鉄の経営の子会社になりました。
第4次日露協約
日露戦争後、
日露間はだんだん協調的になっていきました。
1916年に4回目の協定が結ばれました。
中国が第3国の支配下に置かれないように、
日露間で協力していこうということが秘密協定で決まりました。
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