政党と軍部の対立の背景
日本国内では軍備拡張による
国際収支の悪化などから
今まで政治を担ってきた
政党勢力は軍事費拡張に批判的であり、
広田内閣に不満を抱いていた。
これに対して、
高度国防国家の成立をめざす軍部は、
国内改革の不徹底が軍事費を増やせない原因ではないか?
と政党勢力に不満をもっており、
広田内閣にも飽きていた。
腹切問答
立憲政友会の浜田国松という代議士と、
寺内寿一陸相との間で以下の問答がありました。
内容
浜田がまず軍部を批判します。
すると寺内は「おまえは軍部を侮辱しているのか?」と反撃します。
浜田は「速記録を調べて、もし俺が侮辱した言葉があるなら俺は腹を切る。なければお前が腹を切って謝れ」とやり返した。
結局、誰も腹を切らず終わりました。
広田弘毅内閣の退陣
結局、広田弘毅内閣は腹切問答を抑えきれず、
1937年1月、内閣を退陣します。
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