以前、リットン報告書についてお伝えしましたね。
リットン調査団は日本の満州侵略を自作自演だと断定し、
日本へ満鉄附属地まで撤兵しろ!
というものがでました。
今日はその続きです。
対日撤兵勧告案
その満鉄附属地まで撤兵しろというのは、
国際連盟の会合で
42:1で可決されました。
42の覚え方は「死にィ」と覚えましょう。
「我が代表堂々退場す」
国際連盟への会合で出場したのは、
斎藤実内閣の国際連盟への全権代表・松岡洋右でした。
その翌日の新聞には、
朝日新聞社に「連盟よさらば!遂に協力の方途尽く」
「総会、勧告書を採択し我が代表堂々退場す」
特に「我が代表堂々退場す」のフレーズは有名なので、
良い子も悪い子も何かが転校するときや、卒業するとき、などなど
色々「〇〇、堂々退場す」のところに当てはめて遊んでみましょう。
たとえば、
「ロシア、国際連合堂々退場す」みたいな。
国際連盟脱退
こうして、外務大臣・松岡洋右によって、
日本は1933年に国際連盟脱退を通告することになります。
さらに、実質的に脱退するのは
1935年まで時間はかかりました。
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