前回、
農村救済請願運動
について話しました。
今回はその続きです。
農山漁村経済更生運動
斎藤実内閣は農本主義者らの主張を受け入れて、農村復興に力を入れることとなりました。
農山漁村とは?
- 農村
- 山村
- 漁村
の3つの村をまとめて、農山漁村といいます。
山村は林村ではないので、注意です。
林村だと畑村、海村にならないといけません。
農山漁村経済更生運動のスローガン
農山漁村経済更生運動は、
「隣保共助」
「自力更生」
といいます。
隣保共助
「隣保」は現在でも淡路島などで続けられているケースもあるようです。
「隣保」はりんぽ/りんぽうなど色々な読み方が存在しています。
隣保共助は、近所で助け合おうというような意味です。
21世紀だと菅義偉も「自助・共助・公助・絆」をスローガンに掲げていましたね。
自力更生
自力更生は簡単にいえば、「自分のところの問題は自分でなんとかしろ」というものでした。
時局匡救事業という予算はつくんですけどね。
農山漁村経済更生運動の内容
1932年から大日本帝国政府は毎年1000町村を経済更生指定町村として指定しました。
1町村あたり100円の補助金を支給し、町村の有力者を網羅した経済更生委員会を作らせました。
この予算を時局匡救費といいます。
事業内容は
- 土地分配の整備
- 土地利用の合理化
- 農村金融の改善
- 労力利用の合理化
- 農業経営組織の改善
- 生産費・経費の節減
- 生産物の販売統制
- 農業経営用品の配給統制
- 災害防止
- 共済
- 生活改善
などを果たしました。
受験生は農山漁村経済更生運動と農村救済請願運動の違いを抑えておけば、
受験ではそこまで詳しくは出ないので覚えておけば大丈夫ですよ。
農山漁村経済更生運動のその後
自力更生運動とも呼ばれたように、低予算農業が全国展開されて、
結局、第二次世界大戦で食料供給ができず、配給統制がなされた時もあまり食料がとどくことはなく、
多くの軍人や民間人が餓死する原因になりました。
また、
農山漁村経済更生運動は皇国農村確立運動へと昇華して、国粋主義色が強い色へとなっていきました。
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