太平洋戦争のさなか、
日本では民主主義的な選挙が行われます。
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この太平洋戦争の惨禍の最中で行われた選挙を、
翼賛選挙といいます。
東條英機内閣と翼賛議会スライド
東條英機内閣では、
大日本帝国議会を大日本翼賛議会へと変更しようと考えていました。
初めのうちは、
日本帝国軍は連戦連勝でありましたから、
戦局を有利に進めるためには、
戦争遂行に有利な議員で固める必要がありました。
これが閣議決定され、
政府にとって都合が良い
戦争を進める候補所に対して、
大日本帝国政府は推薦を出そうとしました。
しかし、
政府が推薦を出すと、
政府の選挙干渉になります。
だから、
帝国議会から翼賛議会に変更することで、
中身をまるごと変えようということになりました。
翼賛政治体制協議会
東條英機内閣は翼賛政治体制協議会という組織を作成しました。
候補者の推薦を
翼賛政治体制協議会が出す訳です。
選挙の候補者には、
翼賛政治体制協議会の
- 推薦候補
- 非推薦候補
の2種類に分かれました。
まぁ、でも、
国民は非推薦候補に投票することもできたのです。
戦争を進めようとしない人は、
推薦候補として認められませんでした。
翼賛選挙の結果
東條英機内閣では、
翼賛選挙が行われました。
翼賛議会466人当選の中で、
推薦候補が381人、
非推薦候補が85人という結果になりました。
これは帝国臣民である、
日本人や内地に住む台湾人や朝鮮人が選んだ結果です。
みんな戦争を望んでいたんですよ。
結局、日本人自体が戦争を望んでいた。
そのことを忘れてはなりません。
非推薦候補の有名人
戦争を推進しなかった政治家で有名な政治家は4人います。
- 芦田均
- 尾崎行雄
- 鳩山一郎
- 片山哲
この4人はよく聞かれるので
覚えておいてください。
青墓4人とおぼえましょう。
翼賛議会と翼賛政治会
日本では政党として翼賛政治会というグループが成立し、
帝国議会は翼賛議会と名前を改めて機能しました。
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