織田信長と織田信行の家督争い
織田信行は織田信長の2歳年下の全く同じ父母の兄弟です。
織田信長が兄で、
織田信行が弟です。
稲生の戦い
1556年8月22日、
織田信行は、
父・織田信秀の宿老である
林秀貞(はやしひでさだ)・柴田勝家(しばたかついえ)らとともに
反信長の兵をあげました。
1556年8月24日、
織田信行軍と相対するは織田信長軍です。
両軍は稲生(いのう/現在の名古屋市付近)で衝突しますが、
織田信長軍が勝利を収めました。
織田信長軍は、織田信行の居城・末森城に迫りましたが、
末森城に在城していた両者の母・土田御前(つちだごぜん)の計らいによって
和睦が成立します。
織田信行を謀殺
織田信行は懲りずに、
上4郡の守護代の
岩倉城の織田信安(おだのぶやす)と共謀して、
ふたたび反旗を翻しました。
しかしながら、稲生の戦いで命を助けた
織田信長に忠節を誓った柴田勝家によって、
謀反を織田信長に密告されます。
そこで、織田信長は病と称して、
織田信行を清須城に見舞いへおびき出すことに成功します。
こうして、織田信行は織田信長に謀殺されました。
織田信行謀殺結果
こうして織田信長は、宿敵・織田信行を滅ぼし、
織田家中の統率をはかり、家督騒動は無事終止符を打ちました。
尾張統一に向け、前進していくのでした。
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