日本の神とはその部族の象徴です。
農耕生活をはじめた弥生時代に日本列島に住んでいた人々は、
精神面においても農耕生活と密接していった。
そのため、縄文以前には存在していなかった信仰をすることになった。
農民たちにとっては、
天気というのがとても関心の高いことになっていきました。
狩猟・採集生活の頃は、
晴れや雨なんて、そこまでどうでもよかったのです。
太陽や雨、風、河川などには、
精霊がいるんだ!
といったアニミズムが進んでいきました。
そして、太陽などの自然を神として崇めました。
自然を崇め、自然を畏れ、
自然の怒りを和らげて、豊作を祈るようになっていきました。
これが自然神への信仰です。
新春や種まきの伝統、
収穫のときの祭りなど、
豊作祈願です。
祇園祭などは、田植えの後の疫病退散と豊作祈願です。
集落の部族の長を中心として、
人々が総出で豊作をお願いしたり、感謝したりする祭りが行われました。
今も各地の神社などでは、
祈年祭や新嘗祭には
弥生時代からの伝統とされています。
日本の神は仕事の神ではない
ギリシア神話に存在する戦争の神、勇気の神、英知の神というような概念的な神というのはほとんどいません。
日本の神は産まれてから、
人間の世界で学習することで、
さまざまな属性を身につける。
日本の神というのは、
地域集団や部族の神だったということです。
そこでどのような神を崇めているかで、
敵対している集団か、仲間なのかを見分けていました。
しかし、神の人というのは、
人間とほとんど変わらない姿で、
暮らしていたということです。
自然とは耐えて耐えて受け入れるものであり、
自然と敵対するという考えにはならなかったのです。
日本の巫女とシャーマニズム
弥生時代の集落の人々は地縁・血縁集団になっていった。
つまり、その地域の人々はみんな親戚のような関係になった。
また、農耕のための集団作業のためにも、
集落としての同質性が求められました。
その部族が住む部族たちの、
神の意志を伺い、
それを集落の人々に伝える存在が必要になった。
その巫女が集落の農耕をいつするかなど、
決めていった。
巫女が部族の神の御神託を聞くという
シャーマニズムが広く行われていった。
しかし、男性の族長が司祭者を兼ねており、
その地位は代々世襲されていった。
今でも農村地域の職業は固定されていますね。
族長は政治的・経済的なリーダーなだけではなく、
宗教的な権威も身に着けていたということです。
こうして、
政治
経済
宗教
を支配していった。
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