岡田啓介内閣の時に、
忘れてはならない
天皇機関説問題も勃発します。
天皇機関説とは?
明治時代から憲法学者の美濃部達吉らが唱えていた、
天皇をひとつの大きな歯車として、
大日本帝国が動いているという説。
国の統治権は国家そのものにあり、
天皇は国の最高機関とする説であります。
つまり、天皇は国の一機関であり、
象徴に過ぎないという、今とあまり変わらない説です。
菊池武夫による天皇機関説問題の提起
1935年、
九州探題の名家出身で南北朝時代も南朝に属したことで知られる
九州熊本の菊池家出身の軍人・菊池武夫は、
「天皇機関説は反国体学説である!!」
と大日本帝国議会で提起されたのであります。
美濃部達吉は文民でありますから、
菊池武夫の威圧にはたじたじになりますが、
二・二六事件の前年の、
1935年2月26日には、
東京日日新聞で反論を出したのであります。
岡田啓介内閣と国体明徴声明
岡田啓介はこの天皇機関説問題に対して、
国体明徴声明を出すのであります。
……大日本帝国統治の大権は儼として天皇に存することは明らかなり。…………政府は愈々国体の明徴に力を効し、其の精華を発揚せんことを期す。
「官報」
天皇機関説から天皇主権説へと移るのであります。
天皇の万世一系を再確認するとともに、
国体明徴声明を出したのであります。
岡田啓介内閣の処置と美濃部達吉のその後
岡田啓介内閣は
美濃部達吉の著書「憲法撮要」ら3作を発禁処分にされたのであります。
また、美濃部達吉は貴族院議員の辞任に追い込まれてしまったのであります。
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