初期のビザンツ帝国
初期のビザンツ帝国では、
ローマのような専制君主制が維持され、
378年、アドリアノープルの戦いで、
西ゴート人に大敗します。
が、このあと、
ビザンツ帝国の絶頂期を傑出する
ユスティニアヌス帝が出現します。
ユスティニアヌス1世
ユスティニアヌス1世(Justinianus Ⅰ /在位527年~565年)は、
ビザンツ帝国の黄金時代を築いた皇帝です。
ニカの乱
532年にコンスタンティノープルで起こった
市民の反乱です。
ニカは勝利という意味で、
反乱軍の合言葉でした。
反乱軍から逃げようとした
ユスティニアヌス1世でしたが、
皇后・テオドラ妃の
「帝衣は最高の死装束である」との説得により、
踏ん張った皇帝により、無事に鎮圧しました。
この事件により、
対外的侵略活動を
ユスティニアヌス1世は行うようになりました。
ナルセスらの遠征
ユスティニアヌス1世は、ナルセスらに、
ゲルマン傭兵を主力とする部隊に
西地中海に遠征させました。
旧ローマ帝国西半分の再征服を
敢行しました。
ヴァンダル王国の滅亡
北アフリカのヴァンダル王国を534年に滅ぼしました。
ニカの乱からわずか2年のことでした。
ゴート戦争と東ゴート王国の征服
今度は20年にも及ぶゴート戦争の末に、
ビザンツ帝国はイタリアの東ゴート王国を征服しました。
西ゴート王国のイベリア半島南端部強奪
西ゴート王国からはイベリア半島の南端部を奪いました。
ササン朝ペルシアとの交戦
540年以降は、
ササン朝ペルシアのホスロー1世と交戦します。
交戦の結果、地中海の制海権を確保します。
ユスティニアヌス1世の内政
ユスティニアヌス1世は、内政でも派手に活躍します。
首都のハギア・ソフィア大聖堂の再建
ニカの乱で焼け落ちた、
首都コンスタンティノープルのハギア・ソフィア大聖堂を再建しました。
ローマ法大全
ユスティニアヌス1世は、
法学者・トリボニアヌスに命じて、
共和政ローマ以来のローマ法である
ローマ法大全を作り上げさせます。
法概論・法学説・勅法集の三部作。中世以降ヨーロッパ諸国の法体系に、
大きな影響を与えることになります。
国家統制による農商工業の振興
ユスティニアヌス1世は、経済振興も行いました。
農業・商工業を国家統制で行うことで、
振興をはかりました。
開墾や植民も奨励しました。
養蚕業を導入
ユスティニアヌス1世は、養蚕業も導入しました。
首都・コンスタンティノープルは栄え、
東西の物産集積地として繁栄を極め、
100万人の人口を突破しました。
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