ビザンツ帝国の**イサウリア朝(8世紀)**は、帝国史の中でも特に重要な転換期です。
この時代の本質は、**聖像崇拝をめぐる宗教対立=イコノクラスム(聖像破壊運動)**にあります。
宗教問題は単なる信仰の違いではなく、
👉 政治・外交・社会を巻き込む大混乱へと発展しました。
開祖レオン5世とイコノクラスムの開始



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イサウリア朝の特徴は、皇帝主導による宗教改革にあります。
その象徴が開祖レオン5世による聖像崇拝の禁止です。
背景には
- イスラム勢力の台頭(偶像崇拝否定)
- 軍事的敗北への危機感
がありました。
こうして始まったのが
👉 **イコノクラスム(聖像破壊運動)**です。
コンスタンティノス5世と徹底した聖像破壊



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この政策をさらに徹底したのがコンスタンティノス5世です。
彼は
- 聖像の破壊
- 修道院の弾圧
- 聖像崇拝派の迫害
を強力に推し進めました。
結果として帝国内では
👉 宗教を巡る深刻な混乱が発生します。
ローマ教皇との対立と「ローマとの断絶」



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聖像崇拝の禁止は、西方にも大きな影響を与えました。
特にローマ教皇は
👉 聖像崇拝を強く支持しており、ビザンツ皇帝と対立します。
この対立により
- 東西の宗教的亀裂が拡大
- ローマはフランク王国と接近
し、最終的には
👉 東西分裂の土台が形成されました。
女帝イレーネと聖像崇拝の復活



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この混乱を収束させたのが女帝イレーネです。
彼女は787年の第2ニカイア公会議で
👉 聖像崇拝の復活を正式に決定しました。
これにより
- 宗教対立の一時的収束
- 教会秩序の回復
が実現します。
ローマとの関係修復とその限界



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イレーネの政策により、一定のローマとの修復が図られました。
しかしすでに
- 教皇はフランク王国と結びつき
- 西欧世界は独自の道を進み始めていた
ため、完全な関係回復には至りませんでした。
結果として
👉 東西の分裂は不可逆的なものとなっていきます。
スラブ人・ブルガリア・セルビアへの影響



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この時代、ビザンツ帝国の周辺では
スラブ人の南下と国家形成が進みました。
- ブルガリア王国
- セルビア諸勢力
が台頭し、帝国にとって重要な存在となります。
ビザンツは
- 軍事的対立
- 同時に文化的影響(正教・文字)
を通じて
👉 東欧世界の形成に大きな影響を与えました。
まとめ|イサウリア朝の本質
イサウリア朝とは何か?
👉 宗教改革を契機に帝国の構造が揺らいだ時代
です。
重要ポイント:
- 開祖レオン5世による聖像崇拝の禁止
- コンスタンティノス5世による徹底した弾圧
- イコノクラスムによる社会的混乱
- ローマ教皇との対立と東西分裂の進行
- 女帝イレーネによる聖像崇拝の復活
- スラブ世界への影響(ブルガリア・セルビア)





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