ビザンツ帝国(東ローマ帝国/ビザンチン帝国/ビザンティン帝国/Byzanz)の始まりは、
330年のコンスタンティヌス帝による
ビザンティウム遷都(コンスタンティノープルに改称)という説と
専制ローマ帝国
...
あるいは、
395年のテオドシウス帝崩御
による帝国二分割でできてしまったという説の
2つがあります。
専制ローマ帝国
...
いずれにせよゲルマン民族の影響をあまり受けずに、
紆余曲折を経ながらも、約1000年以上余って、
存続しました。
ビザンツ帝国とビザンティウム
ビザンツ帝国の名前の由来は、
コンスタンティノープルのギリシア語の由来である
「ビザンティウム」からきている。
ビザンツ帝国は、
西方のカトリックと対抗しつつ、
東方のイスラームに対抗しつつ、
ギリシア・ヘレニズム文化に
スラブ文化を加えた
ビザンツ・東ヨーロッパ世界を形成することに
多きく寄与しました。
ビザンツ帝国の場所と地図
小アジア(アナトリア半島)からバルカン半島が主な歴代の領土でした。
アジアからヨーロッパにかけてまたがる国でした。
最後はコンスタンティノープルだけの都市国家にまで衰退します。
ビザンツ帝国の区分
ビザンツ帝国は主に、
- ビザンツ帝国初期
- ビザンツ帝国中期
- ビザンツ帝国後期
の3期に分けられます。
以下は今後の記事制作予定です。
ビザンツ帝国初期
- ビザンツ帝国の最隆~ユスティニアヌス帝の治世~
キーワード ニカの乱、ヴァンダル王国滅亡、東ゴート王国の征服、ササン朝オットー1世、ハギア・ソフィア大聖堂、トリボニアヌス、ローマ法大全、皇帝教皇主義、テオドラ妃、絹織物業、名前の由来、ローマ帝国の復活、財政赤字 - ユスティニアヌス帝の死とビザンツ帝国の縮小と危機
キーワード 財政赤字、帝国の弱体化、課税負担強化、ブルガリア王国、イタリア剥奪、アヴァール人の南下、 - ビザンツ帝国のヘラクレイオス帝の治世~テマ制と屯田兵~
キーワード ササン朝、アヴァール人、テマ制と屯田兵、軍管区制、イスラームによる失地、
コロヌス、スラブ、大土地所有の抑制、 - 新しいビザンツ帝国の形成
キーワードコンスタンティノープル攻囲、ラテン語からギリシア語へ、
「ギリシアの火」、新しいビザンツ社会、ブルガール人とブルガリア王国
ビザンツ帝国中期
- ビザンツ帝国のイサウリア朝の時代
キーワード 開祖レオン5世、コンスタンティノス5世、聖像崇拝の禁止
イコノクラスム、混乱、ローマ教皇、女帝イレーネ、聖像崇拝の復活、ローマと修復、スラブ人、ブルガリア、セルビア - ビザンツ帝国におけるマケドニア朝の時代
キーワード バレイオス1世、南イタリア、クレタ奪回、バレイオス2世、ブルガリア帝国滅亡 - ビザンツ帝国の内紛と混乱
キーワード 貴族の内紛、大土地所有制、セルジューク朝、ローマ教皇と断絶、ノルマン人、南イタリア
ビザンツ帝国後期
- ビザンツ帝国におけるコムネノス朝の治世
キーワード アレクシオス1世、プロノイア制、ヴェネツィアと提携、ノルマン人、
セルジューク朝、ローマ教皇、十字軍、 - コンスタンティノープル占領とラテン帝国
キーワード 貴族の自立、ヴェネツィア、地中海貿易、第4回十字軍、ラテン帝国 - ビザンツ帝国の再興
キーワード 独立政権、ニケーア帝国、ミカエル8世、ジェノヴァ - ビザンツ帝国のオスマン帝国による滅亡~最後の皇帝は?~
キーワード コンスタンティヌス11世、オスマン帝国、メフメト2世、ニコポリスの戦い、
コンスタンティノープル陥落、イスタンブールに改称。ビザンツの滅亡
ビザンツ文化
工事中
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