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東京時代

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昭和時代初期

パリ不戦条約とは?15カ国の調印から「戦争放棄」の内容、日本の問題点までわかりやすく解説

第一次世界大戦という、世界中を巻き込んだ大きな戦争が終わってから約10年。多くの人々は「もう二度とあんな戦争はあってはならない」と強く願うようになりました。そんな平和への思いから生まれたのが、パリ不戦条約です。この記事では、1928年(昭和...
昭和時代初期

なぜ「満州某重大事件」と呼ばれた?張作霖爆殺事件の真相と関東軍の暴走をわかりやすく解説

昭和初期、日本の新聞に突如として現れた「満州某重大事件」。「某(ぼう)」は「ある」や「なにがしの」といった意味を持ち、事件名をはっきり出せないほどの重大な出来事に対し、あえて使われた表現でした。なぜ、その事件名を隠す必要があったのでしょうか...
昭和時代初期

【わかりやすく解説】三・一五事件(1928年)とは?普通選挙の直後になぜ起きた思想弾圧か

こんにちは!歴史総合ドットコムのライターです。前回は、【1928年】日本初の普通選挙をわかりやすく解説!無産政党の登場と政府の警戒で、日本で初めて実施された男子普通選挙について説明しました。この選挙で、多くの人々が新たに政治に参加し始め、無...
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昭和時代初期

【1928年】日本初の普通選挙をわかりやすく解説!無産政党の登場と政府の警戒

1925年(大正14年・乙丑)、加藤高明内閣のもとで「普通選挙法」が成立しました。それまで「一定以上の税金を納めた男性」だけに限られていた選挙権が、満25歳以上すべての男子に与えられることとなったのです(ただし女性や20代前半の男性はまだ選...
昭和時代初期

【3分でわかる】山東出兵とは?田中義一内閣の対支政策綱領までわかりやすく解説

なぜ昭和初期の対中政策は強硬になったのか?昭和初期、日本と中国の関係は大きな変化を迎えていました。日本国内では金融恐慌などの混乱もあり、「中国への対応をもっと強めるべきだ」という声が高まっていました。幣原喜重郎の「協調外交」から田中義一の「...
昭和時代初期

田中義一内閣の金融恐慌収拾-モラトリアム3週間-

金融恐慌の混乱と田中義一内閣の誕生1927年(昭和2年・丁卯)、日本経済は非常に厳しい状況に直面していました。大蔵大臣の発言がきっかけとなり、全国で金融恐慌が起こります。銀行に預金を引き出そうと多くの人が押しかける「取り付け騒ぎ」が広がり、...
昭和時代初期

【金融恐慌とは】大蔵大臣の失言が引き金に!若槻礼次郎内閣が倒れた昭和恐慌の始まりをわかりやすく解説

はじめに第一次世界大戦後の景気も落ち着き、1923年(大正12年)に発生した関東大震災からの復興も思うように進んでいなかった日本。こうした不安定な経済状況の中、第1次若槻礼次郎内閣が誕生します。この内閣の時代に、日本経済そのものを大混乱に落...
大正時代

二十一カ条の要求-なぜ?その意味は?理由を簡単に解説-

サライェヴォ事件をきっかけに始まったのが、第一次世界大戦でした。日本は日英同盟を大義名分に連合国側で参戦しました。今回は日本を中心に第一次世界大戦を見ていきます。中国進出の好機とみた日本日本とドイツの戦い日本は第一次世界大戦を中国に進出する...
明治時代初期

明治時代における交通・運輸の近代化

近代化の一環として、鉄道がはじめて日本に導入されました。イギリスに遅れること約47年のことでありました。鉄道(陸蒸気)鉄道は当時は「金を失う道」とよんで揶揄する人もいました。実際、年間21万円も鉄道事業で当時は儲かったそうです。当時の男性の...
明治時代初期

地租改正の目的とその理由とその後の影響

土地問題と租税問題様々な分野に、近代化をめざした投資をするためには、多くの経費が必要でした。そのため、政府の国家財政の基礎を固め、財政を安定させることが重要な課題でした。廃藩置県後、租税徴収権は政府の手に集中されましたが、政府の財源である年...
明治時代初期

太政官制の設置と藩閥政府

廃藩置県後、中央集権体制を強めるために太政官制改革が進められ、正院・左院・右院の三院制となりました。
明治時代初期

明治時代の兵制・軍制-理念は「国民皆兵」?-

明治時代の兵制・軍制はどんなものだったのでしょうか?みていきましょう。理念国家を強化するために、これまでの諸藩士を中心とした軍隊にかわって、徴兵制にによる国民を基礎とした軍隊を作り上げる必要性がありました。そこで出てきた理念が「国民皆兵」で...
明治時代初期

廃藩置県(1871年)-中央集権国家に向けて-

版籍奉還版籍奉還では、名目上の中央集権体制は強化されましたが、知藩事と人民の関係は、藩主と領民であったと同じで、封建的な関係でした。中央集権国家を作り上げるために、廃藩置県を実施します。廃藩置県廃藩置県という言葉の意味廃藩置県(はいはんちけ...
明治時代初期

版籍奉還とは?目的は?いつ?その意味と行った理由を簡単に~

版籍奉還は1869年(明治2年)7月に政府が布告した行政改革のことです。政策の具体的な内容と、版籍奉還を日本に導入した人物についてみていきましょう。版籍奉還とは?大名が持っている土地と人民の支配権を天皇に返させる政策です。版籍とは? 版・・...
明治時代初期

明治維新政府の発足と五箇条の誓文

明治維新政府は、まず、全体の方針を打ち出します。五箇条の誓文最近は御誓文とは言わないようです。これは、明治天皇が国民に発したのではなく、紫宸殿(ししんでん)で天地神明に誓約する形で出したものです。骨子は開国和親と公議輿論の尊重です。内容 広...
幕末

戊辰戦争と江戸城無血開城

前回、新政府が、徳川慶喜を政権に加えず、辞官納地を迫ったことで、徳川慶喜は大坂城に引き上げたことをお伝えしました。戊辰戦争の由来戊辰とは、干支が戊辰だったことに由来します。因みに干支は十干十二支とも呼ばれ、十干と十二支の組み合わせで表されま...
戦後の昭和時代

庶民首相の田中角栄内閣~日中共同声明・日本列島改造論~

佐藤内閣総辞職閣僚の放言事件や新防衛力整備計画の予算先取り問題なども発生して、沖縄返還後、1972年7月に第3次佐藤内閣は総辞職しました。戦後最長内閣戦後の首相では、在任期間が現時点では最も長い政権は佐藤栄作内閣です。7年6ヶ月にも及びまし...
経済復興から高度成長へ

佐藤栄作内閣~日韓基本条約と小笠原諸島・沖縄返還協定~

1964年11月、池田勇人首相の病気のために第3次池田内閣は総辞職しました。これによって、自民党の佐藤栄作(さとうえいさく/1901年~1975年)が内閣を組織しました。いざなぎ景気池田内閣の経済矛盾の露呈池田内閣の高度経済成長によって、物...
戦後経済史

日米貿易摩擦~日本経済の国際化(ボーダーレス化)

安倍首相とトランプ大統領の仕事の枠をこえた日米首脳会談が行われようとしています。そこで、今回は日米貿易摩擦についてまとめておきたいと思います。プラザ合意にいたるまでアメリカからの日本への輸出を減らす要求は、実は1960年代からすでにはじまっ...
占領下時代

五大改革指令『経済民主化』~農地改革~

1945年12月9日にGHQによって農地改革指令が出されました。五大改革指令のうちの1つ、経済民主化事業の一環です。参考にしてください。内容は寄生地主制を除去し、安定した自作農経営を創出することでした。これも興味がある人は、ぜひご覧ください...
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