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戦国時代

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徳川家康

徳川家康(松平元康)と今川義元の姪の築山殿(瀬名姫)との結婚と関口氏

さて、筆が乗ってるので、家康の話を進めていきますね。松平元信、築山殿との婚儀1557年1月15日、松平元信(16歳)は今川氏の重臣・関口義広の娘・築山殿(瀬名姫)の婚儀が駿府の今川館で執り行われました。築山殿の年齢は?築山殿の年齢は6歳上だ...
徳川家康

松平竹千代(→松平元信)の元服in駿府…今川氏の部将に。

さてさて話は進んで、竹千代が元服して松平元信になる話です。松平元信は14歳で今で言う「大人」になります。松平元信の元服式1555年3月、三河岡崎城の城主になった松平竹千代(のちの徳川家康/14歳)は、駿府すんぷ(現在の静岡市)の今川館で元服...
徳川家康

竹千代(徳川家康)、今度は今川氏の人質になる

松平広忠の死1549年3月6日、のちの徳川家康として知られる竹千代の父・松平広忠(24歳)が側近の岩松八弥に殺されてしまいます。岩松八弥は植村新六郎によって、討ち取られました。太原雪斎(崇孚)、岡崎城へ松平氏は、竹千代を除いて、なかば断絶状...
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徳川家康

徳川家康の織田氏への拉致と2年間の人質生活

さて、来年の大河ドラマに合わせて家康の話も進めていきます。織田信秀の三河・岡崎城攻め1547年、37歳の織田信秀は、松平忠倫を織田氏に寝返りさせます。織田信秀は調略がうまかった武将です。尾張の配下にすぎないのによく寝返りさせています。織田信...
徳川家康

徳川家康(竹千代)の誕生-竹千代の母・水野於大と松平氏と水野氏について-

来年、大河ドラマで「どうする家康」が放送されますね。現在、鎌倉時代の鎌倉殿の13人が絶賛放送中ですが、予算の都合上、鎌倉時代は資料が足りていません。そこで、もう今年は諦めて、来年の分をまとめます。水野氏とは?三河国刈谷城を本拠とする豪族です...
応仁の乱

応仁の乱の前哨戦-三管領細川氏の伊予侵攻と赤松氏の播磨強奪-

大きな大戦の前には、小さな戦いが相次いで起こり、勢力が2つに分かれて、分断していく流れが起こります。代表的なのは、日本の場合、応仁の乱でしょう。今回は応仁の乱の前哨戦について見ていきましょう。細川勝元の伊予侵攻細川勝元の兵糧強奪赤松政則の播...
応仁の乱

応仁の乱(1467年~1477年)の年号の語呂合わせ

応仁の乱は1467年-1477年応仁の乱の語呂合わせを色々考えてみました。応仁の乱は1467年に発生しましたね。応仁の乱は11年間続いているので、応仁の乱は何年ですか?って聞かれたら、正確には応仁の乱は1467年だけじゃなくて、1467年~...
応仁の乱

応仁の乱の原因・理由

応仁の乱(1467年~1477年)は、日本の戦国時代の幕開けとなった大規模な内乱です。この乱は、将軍家の世継ぎ問題や有力大名家の相続争いなど、複数の要因が絡み合って勃発しました。この記事では、応仁の乱の背景と原因について詳しく解説します。応...
戦国時代

桶狭間の戦い-今川家の真の狙いは?信長は何故勝った?-

今川義元の尾張侵攻大義は上洛はウソ?昔は、今川家は上洛のためと考えられていたが。尾張への侵攻は、 三河支配の安定のため 鳴海城の救援 尾張を獲得するためという説が最近いわれる真相である。今川家の尾張侵攻今川義元、駿府城を出立1560年5月1...
戦国武将

斎藤道三、親子の国盗り下剋上物語

「国盗り物語」のかつての通説斎藤道三は、山城国西岡やましろのくににしおかの浪人・松波基宗まつなみもとむねの子で、幼くして京都妙覚寺に入り法蓮坊ほうれんぼうと名乗っていました。やがて、俗世へ還俗して、油商・奈良屋に入婿しました。美濃国へ油の行...
戦国武将

毛利元就、家督をつぐ「元綱事件」大内・尼子の間をめぐり

毛利氏、尼子経久につく毛利氏を始めとする安芸国の国人衆は、1523年6月に大内氏の安芸国の拠点・鏡山城を落とした尼子経久に従っていました。幸松丸の死1523年7月15日に9歳で幸松丸は夭逝しました。毛利元就の家督継承1523年8月10日、毛...
戦国武将

毛利元就の初陣と有田中井手の戦い

有田中井手の戦いの背景武田元繁の独立中国地方の多くの武将は、大内義興おおうちよしおきに従っていました。1515年、武田元繁は、大内義興より独立します。安芸有田城攻略大内義興の配下で、毛利家当主・毛利興元は、武田元繁配下の安芸有田城を奪います...
戦国武将

織田信長の尾張統一

浮野の戦い岩倉城の織田伊勢守家・織田信賢(おだのぶかた)が美濃国の斎藤義龍と結んで織田信長を攻撃しました。織田伊勢守家(岩倉織田家)尾張国上四郡を領する嫡流の守護代家です。この頃は織田信安の子である織田信賢と織田信家(おだのぶいえ)の兄弟が...
戦国武将

織田信長、謀反を企てた弟・織田信行を殺害

織田信長と織田信行の家督争い織田信行は織田信長の2歳年下の全く同じ父母の兄弟です。織田信長が兄で、織田信行が弟です。稲生の戦い1556年8月22日、織田信行は、父・織田信秀の宿老である林秀貞(はやしひでさだ)・柴田勝家(しばたかついえ)らと...
戦国武将

織田信長と生駒家宗の娘・「吉乃」との結婚

織田信長の正妻である帰蝶(濃姫)との間には子どもがいませんでした。結婚吉乃(きつの)は、尾張国小折村(こおりむら/江南市)の土豪・生駒家宗(いこまいえむね)の娘です。織田信長は、尾張清須城から近臣十数人を供に、何回も生駒屋敷に通うようになり...
戦国武将

織田信長の清須城入城~主家・清須織田家の滅亡~

尾張守護・斯波義統の自刃1554年7月12日、尾張守護・斯波義統(しばよしむね)に尾張下四郡の守護代・織田信友(おだのぶとも)と、その家臣で小守護代・坂井大膳(さかいだいぜん)らが斯波義統の子・斯波義銀(よしかね)が川狩にでかけた留守を狙い...
戦国武将

聖徳寺の会見(織田信長と斎藤道三の同盟確固に)

前回、斎藤道三(さいとうどうさん)の娘帰蝶(きちょう/濃姫/のうひめ)を織田信長に嫁がせました。その織田信長がうつけ者だという噂の真相を確かめるために、濃尾国境の中立地帯にある尾張富田の聖徳寺(しょうとくじ)で、1553年4月に会見をしまし...
戦国武将

織田信長と斎藤道三の娘・帰蝶(濃姫)の結婚・夫婦に

織田信秀と斎藤道三の講和加納口の戦い1547年9月、加納口(かのうぐち/現在の岐阜市)で、織田信秀と斎藤道三が戦い、斎藤道三が勝利し、織田信秀は敗退します。小豆坂の戦い1548年3月、小豆坂(あずきざか/現在の岡崎市)で、織田信秀と今川家の...
戦国武将

織田信長(吉法師)の誕生-2歳で那古野城主に-

尾張での勢力守護・斯波氏と守護代・織田氏尾張では、守護の斯波氏が守護代の織田氏に実権を奪われていました。織田氏も2家に分かれ、上4郡を支配する岩倉城の織田伊勢守家(おだいせのかみけ)と下4郡を支配する清須城の織田大和守家(おだやまとのかみけ...
戦国時代

三好元長の死~和泉の一向一揆・足利義維の失脚~

前回のあらすじ中嶋の戦いの背景 堺公方府の河内国守護・畠山義宣(はたけやまよしのぶ/義尭(よしあき)、義英(よしひで)の子)と河内守護代・木沢長政(きざわながまさ)の対立が原因です。1531年8月に、畠山義宣が木沢長政の飯盛城(いいもりじょ...
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