徳川家康徳川家康、決死の生存戦略|武田信玄を「上下」から潰す『徳川・上杉同盟』の深層(1570年) 1572年の「濃越同盟(織田・上杉)」に先駆けること2年。1570年、徳川家康は自らの生存を懸けて、ある「絶対契約」を結んでいました。それが越後の虎・上杉輝虎(謙信)との**「徳川・上杉同盟」**です。信長が西で手一杯、北には怪物・武田信玄... 2026.04.15徳川家康戦国時代戦国武将
戦国武将織田信長、痛恨の配置ミス|弟・信興を死に追いやった「長島一向一揆」と「斎藤龍興」の復讐劇 1570年、織田家にとって「金ヶ崎」以上の絶望となった戦いがあります。それが信長の弟・**織田信興(おだ のぶおき)が自害に追い込まれた「小木江城(おぎえじょう)の戦い」**です。なぜ信長の弟は、一兵卒として散ることも、逃げ延びることもでき... 2026.04.15戦国時代戦国武将
戦国時代織田信長、絶体絶命の「金ヶ崎の退き口」|秀吉・家康以上に影の主役・松永久秀が果たした役割とは? 1570年(元亀元年)、織田信長が人生で最も死に近づいたとされる**「金ヶ崎の退き口(かねがさきののきぐち)」**。一般的には、木下藤吉郎(豊臣秀吉)の「殿(しんがり)での大功」や、徳川家康の「忠義の撤退戦」として語り継がれています。しかし... 2026.04.15戦国時代
戦国時代細川京兆家重臣赤沢朝経、延暦寺の堂舎を焼き払う 比叡山って、何回も炎上してるの知ってますか?大河ドラマで東海ルートの戦国時代の主人公が選ばれると、毎回焼かれるのがお約束の延暦寺。今日は普段と違う焼かれ方の歴史をお伝えしたいと思います。朝倉家vs細川京兆家元々、足利将軍家は京都の大名ではあ... 2026.03.05戦国時代
戦国武将十一カ国の太守・尼子経久の妙法蓮華経の信仰 中国地方の覇者とも呼ばれ、謀将であり、尼子経久は出雲国を中心に十一カ国の太守と未来では言われることになった。そんな中で、1515年出雲国の大領主尼子経久あまごつねひさは、「妙法蓮華経」を出版し、領内の寺社に寄贈しました。尼子経久による、開板... 2026.03.05戦国武将
戦国時代熊野大社の本宮と新宮の戦い 室町幕府が調停し、熊野詣も一安心 熊野三社とは?本宮新宮那智大社の三社が熊野三社と呼ばれます。16世紀も熊野詣は盛んで、この頃は「アリの熊野詣」と呼ばれました。熊野三社には、北は青森から南は愛媛まで、各地の村々に熊野講ができて、先達せんだつと呼ばれるガイドが道案内人になって... 2026.03.05戦国時代
徳川家康姉川の戦い-場所は?勝敗は?をわかりやすく- 2023年は徳川家康公の大河ドラマですね。ちょっとまとめておきますね。野洲川の戦い-vs六角-1570年6月4日、六角義賢・六角義治親子は南近江の国人一揆を吸収して、先導し、野洲川やすがわ下流に進出いたしました。対して滋賀県野洲市の永原城に... 2023.01.02徳川家康織田信長
徳川家康徳川家康の性格-姓名判断と数秘術と算命学をかじった性格推定- 今まで需要のない記事を、たくさん生産してきたようなので、これからは需要のある記事に方向転換して、徳川家康の性格診断を行ってみます。算命学に基づく徳川家康の性格徳川家康の生年月日は、1543年1月31日です。徳川家康は辰巳天中殺ということにな... 2022.09.25徳川家康
徳川家康松平氏、徳川氏へ改姓 1566年12月29日、松平元康は、徳川元康へ改称します。織田氏も松平氏も平家の名字。松「平」だと平家なのまるわかりだったということもあります。 2022.09.22徳川家康
徳川家康清洲同盟締結-天下統一へ向けて織田信長と徳川家康(松平元康)の関係は強固に さてさて、大河ドラマで需要がありそうな、清洲同盟の記事も書いていきますよ。きっと戦国時代が舞台になる度にアクセスが稼げる記事になるでしょう。桶狭間の戦いの復習1560年5月19日、今川義元が織田信長に倒されて討死します。桶狭間の戦い-今川家... 2022.09.22徳川家康戦国武将織田信長
徳川家康徳川家康(松平元康)と桶狭間の戦い-岡崎城への13年ぶりの帰還と松平氏の独立- 七か条の法度1559年5月16日、桶狭間の戦いの1年前、元康は七か条の法度を出します。七か条の法度には関口義広や朝比奈親徳などが書かれており、松平氏は今川家臣として臣従していたことを示しています。桶狭間の戦い1560年5月19日、今川義元・... 2022.09.07徳川家康
徳川家康徳川家康(松平元康)と今川義元の姪の築山殿(瀬名姫)との結婚と関口氏 さて、筆が乗ってるので、家康の話を進めていきますね。松平元信、築山殿との婚儀1557年1月15日、松平元信(16歳)は今川氏の重臣・関口義広の娘・築山殿(瀬名姫)の婚儀が駿府の今川館で執り行われました。築山殿の年齢は?築山殿の年齢は6歳上だ... 2022.09.07徳川家康
徳川家康松平竹千代(→松平元信)の元服in駿府…今川氏の部将に。 さてさて話は進んで、竹千代が元服して松平元信になる話です。松平元信は14歳で今で言う「大人」になります。松平元信の元服式1555年3月、三河岡崎城の城主になった松平竹千代(のちの徳川家康/14歳)は、駿府すんぷ(現在の静岡市)の今川館で元服... 2022.09.07徳川家康戦国時代
徳川家康竹千代(徳川家康)、今度は今川氏の人質になる 松平広忠の死1549年3月6日、のちの徳川家康として知られる竹千代の父・松平広忠(24歳)が側近の岩松八弥に殺されてしまいます。岩松八弥は植村新六郎によって、討ち取られました。太原雪斎(崇孚)、岡崎城へ松平氏は、竹千代を除いて、なかば断絶状... 2022.09.07徳川家康
徳川家康徳川家康の織田氏への拉致と2年間の人質生活 さて、来年の大河ドラマに合わせて家康の話も進めていきます。織田信秀の三河・岡崎城攻め1547年、37歳の織田信秀は、松平忠倫を織田氏に寝返りさせます。織田信秀は調略がうまかった武将です。尾張の配下にすぎないのによく寝返りさせています。織田信... 2022.09.07徳川家康戦国時代
徳川家康徳川家康(竹千代)の誕生-竹千代の母・水野於大と松平氏と水野氏について- 来年、大河ドラマで「どうする家康」が放送されますね。現在、鎌倉時代の鎌倉殿の13人が絶賛放送中ですが、予算の都合上、鎌倉時代は資料が足りていません。そこで、もう今年は諦めて、来年の分をまとめます。水野氏とは?三河国刈谷城を本拠とする豪族です... 2022.09.07徳川家康
応仁の乱応仁の乱の前哨戦-三管領細川氏の伊予侵攻と赤松氏の播磨強奪- 大きな大戦の前には、小さな戦いが相次いで起こり、勢力が2つに分かれて、分断していく流れが起こります。代表的なのは、日本の場合、応仁の乱でしょう。今回は応仁の乱の前哨戦について見ていきましょう。細川勝元の伊予侵攻細川勝元の兵糧強奪赤松政則の播... 2022.08.16応仁の乱
応仁の乱応仁の乱(1467年~1477年)の年号の語呂合わせ 応仁の乱は1467年-1477年応仁の乱の語呂合わせを色々考えてみました。応仁の乱は1467年に発生しましたね。応仁の乱は11年間続いているので、応仁の乱は何年ですか?って聞かれたら、正確には応仁の乱は1467年だけじゃなくて、1467年~... 2022.07.24応仁の乱
応仁の乱応仁の乱の原因・理由 応仁の乱(1467年~1477年)は、日本の戦国時代の幕開けとなった大規模な内乱です。この乱は、将軍家の世継ぎ問題や有力大名家の相続争いなど、複数の要因が絡み合って勃発しました。この記事では、応仁の乱の背景と原因について詳しく解説します。応... 2024.05.22応仁の乱
戦国時代桶狭間の戦い-今川家の真の狙いは?信長は何故勝った?- 今川義元の尾張侵攻大義は上洛はウソ?昔は、今川家は上洛のためと考えられていたが。尾張への侵攻は、 三河支配の安定のため 鳴海城の救援 尾張を獲得するためという説が最近いわれる真相である。今川家の尾張侵攻今川義元、駿府城を出立1560年5月1... 2021.08.30戦国時代