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日本史

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飛鳥時代

大化改新-乙巳の変編-なぜおこった?場所は?流れは?わかりやすく

海外情勢倭国でクーデターが発生したのは、以下の海外情勢が原因です。隋の滅亡と唐の建国くわしくは隋と唐の建国参照してください。高句麗への征伐に何度も失敗したことが財政圧迫の一因となり、618年隋は滅亡し、唐が建国された。舒明天皇は630年に唐...
飛鳥時代

飛鳥文化

飛鳥文化の寺はこちら飛鳥文化の彫刻金銅像が多い。北魏の様式に倣ったものと南梁にならったものとがある。後述する鞍作鳥の作品は北魏の様式である。法隆寺金堂釈迦三尊像作者は鞍作鳥(くらつくりのとり)。鞍作鳥は司馬達等の孫にあたる。この像は顔立ちは...
飛鳥時代

飛鳥文化の寺

飛鳥文化アタックとは、朝鮮半島経由で受容した中国の南北朝時代(六朝文化)の影響を受けた日本最初の仏教文化。渡来人が指導。今回は建築部門だけを見ていく。飛鳥文化の中心地飛鳥文化の中心地は2つあり、斑鳩(いかるが)と飛鳥である。飛鳥の読み方は今...
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飛鳥時代

聖徳太子(厩戸王)と遣隋使の派遣-手紙の内容は?小野妹子は?-

倭の五王の遣使が跡絶えた以降中国との交流が絶え、冊封体制から抜けだしていたが、隋に拠る中国統一の結果、倭は対新羅関係を打破しようとした。『隋書』東夷伝倭国条まとめたのは唐の魏徴。遣隋使600年、第一次遣隋使 開皇二十年、倭王あり、姓は阿毎(...
飛鳥時代

女性天皇の推古天皇の政治-甥の摂政の聖徳太子とともに-

隋による中国統一くわしくは隋を参照。北朝から興った隋が南朝の陳を滅ぼして、およそ400年ぶりに統一王朝が成立した。隋は律令を整備するとともに、周辺諸国への圧力を強め、589年以降幾度となく高句麗へと遠征軍を派遣した。朝鮮3国や倭国はこの世界...
古墳時代

ヤマト政権の発展~磐井の乱・二朝並立を乗り越えて~

大伴氏の失脚大伴金村(おおとものかなむら)は武烈天皇の死後、507年に越前(福井県)から応神天皇の5世孫と自称するそれまでの大王との血縁が怪しい「男大迹王」(おおどのおう)を迎えて即位させ、ヤマト政権の血縁断絶の危機を乗り越えようとした。継...
古墳時代

大陸文化の受容と信仰

渡来人による新技術伝来古墳時代の中期には朝鮮半島からの渡来人によって、ユーラシア大陸大陸から鉄器の生産須恵器の生産機織り土木技術などの種々の技術がもたらされました。詳しくは、を参考に百済から宗教等の伝来儒教6世紀には百済から渡来した五経博士...
古墳時代

ヤマト政権の成立と政治制度

ヤマト政権とは古墳時代前期に畿内で形成された政治連合。政治連合の首長は「大王」 (おおきみ)。勢力範囲雄略天皇が中国の宋の皇帝に送った上表文や、千葉県稲荷台1号墳から出土した鉄剣や、埼玉県稲荷山古墳から出土した鉄剣、それに熊本県江田船山古墳...
古墳時代

古墳の形状と古墳の変遷

古墳とは、身分が高い首長たちの墓。古墳時代は3世紀から8世紀始めまでであり、一般に前期中期後期で分けられる。(3世紀後半を出現期、7世紀~を終末期と呼ぶ場合もある。終末期は飛鳥時代・奈良時代と重なる)古墳は墓式で言えば、高塚(たかつか)式墳...
古墳時代

5世紀の日本と宋書倭国伝と倭の五王-讃・珍・済・興・武-

5世紀の日中関係『宋書』倭国伝 (そうじょ/わこくでん)宋書そうじょ・倭国伝わこくでんとは、5世紀の日本のことが書かれてある中国の歴史書。宋書を編纂したのは、沈約しんやくです。倭の五王倭の五王とは、讃珍済興武の5人の王のこと。次々と中国へと...
古墳時代

4世紀の日本と朝鮮半島

中国では三国時代を経て国内統一に成功した晋が4世紀初めに北方民族(五胡)の侵入を受け、南北朝時代となったころの話。ヤマト政権と朝鮮半島高句麗好太王碑文これは碑石であって文書ではない。石に刻まれた文字。石や金属に刻まれた文を金石文という。高句...
弥生時代

邪馬台国連合

3世紀の日中関係晋の陳寿が編纂した「三国志」『魏書』東夷伝倭人条(とういでんわじんのじょう)(魏志倭人伝)によると、約30の小国の連合体が倭に存在し、中国に朝貢を行っていた。ちなみに三国とは魏呉蜀のことである。邪馬台国倭で約30カ国の盟主と...
弥生時代

弥生時代の小国の分立~ムラからクニへ~

クニ強力な集落は周辺の集落を武力制圧し、次第にクニと呼ばれる政治的まとまりに発展。集落環濠集落まわりに濠や土塁を張り巡らせた、防御用施設をもつ集落。どうやら地域間で争いがあったようだ。韓国でも環濠集落が見つかっている。九州から関東地方に分布...
弥生時代

弥生人の墓

墓制支石墓九州北部や朝鮮半島で見られる墓。大きな平石を何個かの石で支えたものの下の土に埋葬した。小さな数個の支石の上に標石を乗せる形をしている。副葬品はあまりなかった。 甕棺墓(かめかんぼ)九州北部で見られる土器で作られた墓。甕棺(かめかん...
河野家

応仁の乱

関東の享徳の乱とともに戦国時代の開幕を告げる乱。嘉吉の乱の戦後処理と山名宗全と細川勝元の対立1447年、山名宗全(やまなそうぜん/宗全は出家後の名前。本名・持豊もちとよ)が嘉吉の乱で足利義教とともに殺された山名煕貴(ひろたか)の娘(宗全の養...
弥生時代

米から見た弥生人の生活

今回は弥生人の生活について、田圃を中心に見ていきたいと思います。田直播(じかまき)・・・手で投げて播く田植えの方法。書くところがここぐらいしかなかったので、ここに書いた。田の種類湿田弥生時代初期の水田耕作で低湿地を利用して行った田。湿田は排...
弥生時代

弥生文化の成立

弥生文化の成立弥生文化とは紀元前4世紀の初め頃に西日本で成立し、その後、北海道と南西諸島をのぞいた地域に起こった文化。稲作の開始と金属器(青銅器・鉄器)の使用が大きな特徴で前期(紀元前5世紀~紀元前2世紀)中期(紀元前2~紀元後1世紀)後期...
関東

享徳の乱-~応仁の乱並に複雑~わかりやすく解説→関東は乱の結果分裂

関東の情勢関東の支配体制は鎌倉公方と関東管領を2大頂点としていました。鎌倉公方は伝統的守護家に支えられ、関東管領上杉氏は中小国人衆に支えられていました。享徳の乱の内容享徳の乱の幕開け嘉吉の変後、足利成氏あしかがしげうじが鎌倉公方になりました...
平安時代初期

弘仁・貞観文化~密教編~

平安時代初期の約100年間の弘仁・貞観文化の時に、密教が隆盛を極める。弘仁・貞観文化とは?弘仁・貞観文化は晩唐の影響を受けた神秘的で暗いイメージ。894年の遣唐使廃止まで。密教桓武天皇の立場桓武天皇は仏教が政治に深く関わることを嫌がり、今ま...
平安時代初期

格式、儀式、権門・寒門

嵯峨天皇の代に法整備が進んだ。格式律令の補足修正・補足した令である新法の格(きゃく)と律令書格の具体的な施行細則の式に分けた。律令にかわる新法が平安時代になると不可欠となった。奈良時代は律令の時代。平安時代は格式の時代とも言える。弘仁格式こ...
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