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戦国時代

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戦国武将

織田信長と斎藤道三の娘・帰蝶(濃姫)の結婚・夫婦に

織田信秀と斎藤道三の講和加納口の戦い1547年9月、加納口(かのうぐち/現在の岐阜市)で、織田信秀と斎藤道三が戦い、斎藤道三が勝利し、織田信秀は敗退します。小豆坂の戦い1548年3月、小豆坂(あずきざか/現在の岡崎市)で、織田信秀と今川家の...
戦国武将

織田信長(吉法師)の誕生-2歳で那古野城主に-

尾張での勢力守護・斯波氏と守護代・織田氏尾張では、守護の斯波氏が守護代の織田氏に実権を奪われていました。織田氏も2家に分かれ、上4郡を支配する岩倉城の織田伊勢守家(おだいせのかみけ)と下4郡を支配する清須城の織田大和守家(おだやまとのかみけ...
戦国時代

三好元長の死~和泉の一向一揆・足利義維の失脚~

前回のあらすじ中嶋の戦いの背景 堺公方府の河内国守護・畠山義宣(はたけやまよしのぶ/義尭(よしあき)、義英(よしひで)の子)と河内守護代・木沢長政(きざわながまさ)の対立が原因です。1531年8月に、畠山義宣が木沢長政の飯盛城(いいもりじょ...
戦国時代

「紀州みかん」の最古の書物

紀州みかんが最初に文章で登場するのは内大臣・三条西実隆(さんじょうにし さねたか)が記した、『実隆公記』が現在確認できる最古の記録です。明治以降に、温州みかんが広まるまでは、「小蜜柑(こみかん)」と呼ばれ、小さくて、種子が多い品種でした。実...
戦国時代

「和泉に『堺公方府』が成立」 足利義維が阿波から上陸

概要1527年3月22日に、阿波国(現在の徳島県)から三好元長(みよしもとなが)が、足利義維(あしかがよしつな)と細川晴元(ほそかわはるもと)を担いで、8000人の兵を引き連れて和泉国(いずみのくに・現在の大阪府南部)堺に上陸した事件。その...
関東

北条早雲(伊勢新九郎盛時)の伊豆討ち入り

伊勢氏と早雲伊勢氏は室町幕府の政所の執事の家系でした。世が世ならエリート官僚として、伊勢新九郎盛時も活躍していたことでしょう。堀越公方御家騒動堀越公方、足利政知の死1491年4月3日、足利義政の異母弟である足利政知が伊豆(現在の静岡県)で亡...
戦国時代

明応の政変

1493年4月22日、細川政元が足利義稙(よしたね)の代わりに、足利義政の異母弟・足利政知の子、香厳院清晃(きょうごんいんせいこう)を将軍に擁立した。23日、その旨を朝廷に奏上した。擁立の経緯2月15日、足利義稙は畠山政長の要請で、畠山基家...
戦国時代

一揆-一揆の種類(徳政一揆・国一揆・一向一揆・土一揆/山城国一揆/加賀一向一揆)

一揆一揆とは「揆を一にする」ということで、要求貫徹運動の意味。種類徳政一揆借金帳消しを求める一揆。国一揆国人中心で一国規模で起こった一揆。一国規模でないものは国人一揆と呼ぶ。一向一揆一向宗(浄土真宗)の本願寺門徒の農民や土豪の連合体が守護、...
河野家

応仁の乱

関東の享徳の乱とともに戦国時代の開幕を告げる乱。嘉吉の乱の戦後処理と山名宗全と細川勝元の対立1447年、山名宗全(やまなそうぜん/宗全は出家後の名前。本名・持豊もちとよ)が嘉吉の乱で足利義教とともに殺された山名煕貴(ひろたか)の娘(宗全の養...
関東

享徳の乱-~応仁の乱並に複雑~わかりやすく解説→関東は乱の結果分裂

関東の情勢関東の支配体制は鎌倉公方と関東管領を2大頂点としていました。鎌倉公方は伝統的守護家に支えられ、関東管領上杉氏は中小国人衆に支えられていました。享徳の乱の内容享徳の乱の幕開け嘉吉の変後、足利成氏あしかがしげうじが鎌倉公方になりました...
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