モンゴル民族の発展 タイモンゴル中朝 元末の情勢と紅巾の乱 2014年10月4日 元末の情勢 元末の混乱 14世紀、 クビライの次の成宗の死後、帝位継承をめぐり相続争いが続いた。 帝位継承制度がクリルタイのままだったので、一族の権力争いが続いた。 代表的な例として、上都派と大都派にわかれた混乱である天暦の内乱が起こる。 それに加えて、華北の大雨や黄河の大氾濫や江南の干ばつといった自然災害が頻発するも... ベルヤン
モンゴル民族の発展 周滅亡日本多数 第2回日本遠征(弘安の役) 2014年10月3日 第2回日本遠征(弘安の役)の目的モンゴルは南宋を滅亡させた後、元朝にとって南宋の兵士の取り扱いが問題化。南宋の兵士に俸給を払う→財政圧迫南宋の兵士を放置→兵士が不満→反乱そこで、南宋の兵士の中から志願者を募り、海外遠征に振り向けることにした。近隣国には迷惑極まり無い話である。 江南軍の大多数の兵士は南宋の兵士で、農具を... ベルヤン
モンゴル民族の発展 モンゴル丸木舟話底 海底で発見!幻の軍船~730年前 元寇の謎~ 2014年9月25日 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3132_all.html 興味深い内容です~。丸木舟に次いで古い船なんですね。 聞いた話によると、モンゴル人が短期間で巨大かつ大量の造船命令を 高麗人にしたところ、高麗人は手を抜いたという話をちらっと聞いた話がありますけど、 どう... ベルヤン
モンゴル民族の発展 日本モンゴル漢南宋 第1回日本遠征(文永の役) 2014年9月25日 遠征の目的元朝1274年南宋に対する総攻撃を開始。一方、日本が日宋貿易を活発に行なっていたため、元朝は南宋と日本が極めて親しい関係にあると認識。 南宋攻撃中に、背後から日本の派遣を懸念したモンゴルは、日本に元軍の強さを見せつけるため、及び日本の出方を伺うために、威力偵察を行うことが目的。 遠征の経緯1274年10月モン... ベルヤン
モンゴル民族の発展 日本モンゴル幕府チンギス 元朝の日本遠征の経緯 2014年9月20日 元朝の対日交渉 モンゴル軍はチンギス・カン(チンギス・ハン(ハーン))の時代から高麗へ侵攻 元朝1273年高麗を属国化→高麗を仲介役として日本と交渉。1266~71年 国書を携えた使節団を3回派遣 国書の内容武力行使に言及する部分はあるものの、総じて見れば、穏やかであり、修好を求める挨拶状に近かった。 日本(鎌倉幕府・... ベルヤン
モンゴル民族の発展 中国北京滅亡日本 元の成立 2014年5月28日 元の成立 モンケの死によって、後継者を決めなくてはならなくなりました。 しかし、モンケの子供たちは20代と若く即位できず、 モンケの弟のフレグは遠征中のため即位できませんでした。 そのため、後継者はクビライ(フビライ)とアリクブケ(アリクブカ)に絞られてしまいました。 クビライは華北の総督で開平府に在住しており、アリク... ベルヤン
モンゴル民族の発展 アジア中央アジアシリアタイ モンケ・カン(モンケ・ハーン) 2014年5月22日 即位オゴデイ・カン(オゴタイ・ハーン)の長子、第三代皇帝グユクは即位後すぐに病弱のため、急死。ジョチ家とトゥルイ家はモンケを皇帝に推薦し、オゴデイ家とチャガタイ家はオゴデイの指定していたシレムンを推薦した。激しく対立したが、1251年トゥルイ家とジョチ家は強引にクリルタイを開き、モンケを皇帝に選出。 モンケの統治モンケ... ベルヤン
モンゴル民族の発展 ドイツヨーロッパ数都市 バトゥの「西征(ロシア・東欧遠征)」 2014年5月21日 バトゥはまず始めに、ヴォルガ川湖畔からキプチャク(トルコ系遊牧民に由来)大草原(カスピ海、黒海、カフカスの北部一帯)を征服。 1237年ルーシ(ロシア)侵攻キエフを始めとするロシア諸都市を攻略し、キエフ公国を壊滅。 1241年、ポーランド・ハンガリーに侵攻し、ポーランド西部のレグニッツアに近いワールシュタット(=死の土... ベルヤン