1180年、鎌倉に入った源頼朝は役所づくりをはじめる。
侍所
関東の武士団を御家人として編成するために侍所(さむらいどころ)を設置します。
文字通り侍、つまり、御家人を統率するための役所です。
別当
侍所の長官職を別当(べっとう)といい、
初代別当をつとめたのは、和田義盛(わだよしもり)です。
所司
別当を支えた補佐役を所司(しょし)といいます。
初代侍所所司に就任したのが梶原景時(かじわらかげとき)でした。
十月宣旨と東国沙汰権
源頼朝は東国に新しい政権を作るための基盤として、
なんとしても朝廷に支配権を周知のものとする必要があります。
そこで、京都にアプローチした結果、
後白河法皇から1183年の十月宣旨によって、
東海道と東山道の支配権を認められました。
これを東国沙汰権といいます。
沙汰とは?
「沙汰」というのは歴史用語で支配という意味です。
ex)地獄の沙汰も金次第
「沙汰」というのは歴史用語で支配という意味です。
ex)地獄の沙汰も金次第
公文所
翌1184年には、一般財政を扱う公文所(くもんじょ)を設置しました。
公文所は1191年に政所(まんどころ)に吸収されていきます。
別当
公文所の長官は、別当と呼ばれます。
初代別当には公家出身の大江広元(おおえのひろもと)が就いています。
問注所
裁判事務を担当する問注所(もんちゅうじょ)を1184年設置します。
執事
問注所の長官を執事(しつじ)と呼びます。長官職の呼び方に注意が必要です。
初代問注所執事には、公家出身の三善康信(みよしやすのぶ)が就任しました。
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