国民議会の解散と立憲君主制憲法を制定
立憲君主制を定めた憲法制定
急進的な共和主義を恐れた国民議会は、
財産資格選挙、立憲君主制の樹立、
一院制の議会設立を規定した1791年憲法制定して、
国民議会は解散し、秩序回復を急ぎました。
停止的拒否権
王権は縮小されましたが、議会が可決した法案の裁可を
一定期間拒否することができる「停止的拒否権」が
王に残されました。
能動市民と受動市民
市民は、ただ市民権のみを享受する受動市民と、
政治に参加する資格を与えられた能動市民に分けられました。
立法議会の派閥
フイヤン派とジロンド派は激しく対立しました。
フイヤン派
立憲王政派であるフイヤン派。議会の右翼を占めました。
フイヤン=クラブを背景とするフイヤン派は、
ラ・ファイエットやバルナーヴらが指導していました。
ジロンド派
ブルジョワジーを主体とした穏健な共和派であるジロンド派
ジャコバン派から分離し、対立。
ジロンド県出身者が多いのでジロンド派と呼ばれます。
ジャコバン派(山岳派)
ジャコバン修道院に本拠をもち、
小市民の利害を代表した急進的な共和制を主張したジャコバン派。
ジャコバン修道院
マラー・ダントン、ロベスピエールなど、
過激なジャコバン派グループは、議会の最左翼の高い議席にいるので、
モンターニュ派(山岳派)とも呼ばれます。
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