ヨーロッパ中世は通常、
封建社会や封建制(feudalism/ヒューダリズム)の時代と言われます。
封建制とは、古代中国の周王朝に由来する言葉ですが、
では、ヨーロッパの封建制とは一体なんなのでしょうか?
ヨーロッパの封建制
ゲルマンの従士制とローマ時代末期の恩貸地制が融合して、
8~9世紀頃にヨーロッパに封建制(ヒューダリズム)が成立します。
これは8~9世紀頃に、西ヨーロッパには、
イスラーム教徒・マジャール人・ヴァイキングなどの
相次ぐ異民族の侵入と
フランク王国の分裂、およびその後の王権の衰退の中で、
人々は自己の安全を守るために地方の有力者に土地を託して、
主従関係を結ぶようになったことが始まりです。
ヨーロッパの封建制では「国王→諸侯→騎士」という、
階層的主従関係が結ばれていました。
従士制度
従士制度(Gefolgschaft/じゅうしせいど)とは、
主君が臣下に生活の保障を与える代わりに、
臣下が主君に忠誠を誓わせるものです。
臣下の義務は軍役です。
見返りは土地ではなく、軍馬や武器でした。
恩貸地制
恩貸地制(Beneficium/おんたいちせい)とは、
ローマ帝国末期の混乱期に生まれたものです。
地方豪族に一旦土地を譲り、
再び借り受けるものです。
主君は臣下に対して、
一定の奉仕を要求する代わりに、
土地の使用権を認めるものでした。
双務的契約関係
ヨーロッパ中世の封建制は自由人との間の
1対1の双務契約的な関係からなっていました。
複数従臣制
ヨーロッパでは複数の主君に仕える家臣も少なくありませんでした。
中国の封建制では血縁中心の片務的契約関係でした。
中国や日本では、主君は絶対であり、
主君のために命を投げ出すのは当然とされました。
家臣は主従契約を解消することができました。
騎士身分と騎士道
国王・諸侯・騎士は皆、身分的には騎士でした。
封建貴族として、一定の道徳規範に従って、
行動することが求められました。
この道徳規範を騎士道といいます。
騎士道はキリスト教の影響を強く受けていました。
- 主君への忠節
- 戦いにおける勇敢さ、
- 神を敬うこと
- 異教・異端の撲滅
- 女性や弱者の救済
などが騎士道に定められていました。
12世紀頃までは、
農民の中にも騎士になるものもおり、
幼少より王侯の宮廷に仕えて、
武技を練り、騎士叙任式をへてはじめて騎士身分を獲得しました。
しかし、13世紀以降は、
農民出身の歩兵隊が出現し、
さらに中世末期には、
火薬や鉄砲が発明されるに及んで、
次第に騎士身分及び騎士道は衰退していくことになります。
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