日本は1854年に開国して、1859年から貿易が始まりました。
当時の日本においての金の価値は、
海外と比べて低かったために、
金が海外へと流出を初め、日本経済は混乱しました。
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井伊直弼への責任追及の声
日本経済混乱をもたらしたのは、
井伊直弼(いいなおすけ)の専断が原因ではないか
という声が広がり、
井伊に対する人々の不満が高まっていました。
というのも、
朝廷の孝明天皇は(こうめいてんのう)は、
開港にはもともと大反対の立場。
幕府に対して、
天皇の勅令に対して背くのか、と、
違勅調印の非難は高まりました。
その結果、
天皇をないがしろにするのかと、
一橋派の大名を中心に
尊王攘夷派の志士たちから
強い反発を受けました。
安政の大獄
井伊直弼の耳にも入り、
1858年から1859年にかけて、
井伊直弼に反対する者を
次々と処断しました。
これを安政の大獄といいます。
処罰を受けた人は100人を超えるそうです。
安政の大獄で処刑された有名人
吉田松陰
長州藩士。
松下村塾
吉田松陰が萩に開き、講義した私塾です。
高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠らを輩出しました。
橋本左内
越前藩士。
梅田雲浜
若狭小浜藩士。
頼三樹三郎
近衛忠熙
三条実万
安政の大獄で蟄居・謹慎の有名人
- 徳川斉昭
- 徳川慶喜
- 松平康永
桜田門外の変
安政の大獄という大弾圧をする中で、
幕府に対する信用は失墜し、
やがて不満感が募っていきます。
そうした中で、
1860年3月3日の雪の朝、
城への通勤最中の井伊直弼が
桜田門外で水戸脱藩浪士らによって、
暗殺されてしまいました。
これを桜田門外の変といいます。
幕府にとっては、今でいう総理大臣の代理が死んだわけですから、
政治を執り行う人がいなくなってしまいました。
従来の独裁体制はここに消えます。
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