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世界分割と列強対立

ビスマルク仲裁の「ベルリン会議」~アフリカ分割に向けて~

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世界分割と列強対立
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今なお、アフリカでは紛争が絶えませんが、
それはかつてのヨーロッパの列強が、
自分たちのルールで現地の人達のことを考えず、
分割したからです。
今回はその最初の踏み出しについて話します。

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アフリカ探検とアフリカへの注目

「暗黒大陸」

ヨーロッパによる分割以前のアフリカ大陸は、
「暗黒大陸」と呼ばれていました。
ヨーロッパ人のアフリカへの認識は、
地中海沿岸やインド航路への港周辺に限られていました。
ヨーロッパの人々のアフリカへの蔑視がみてとれます。

リヴィングストンの探検

18世紀後半頃からアフリカ内陸部への探検や
キリスト教の布教活動がさかんになりました。
その代表的な人物として、
イギリス人宣教師「リヴィングストン」がいます。
ムスリム商人による奴隷貿易の根絶を目的に探検した
彼のお陰で皮肉にもアフリカは植民地化がすすんでいきます。

スタンリーの探検

スタンリーはアメリカの孤児院で育ちました。
スタンリーはそういう生い立ちであったために、
屈強な精神に育ち、
「プーラ・マタリ(岩を砕く存在)」
呼ばれて黒人から慕われました。
「私には必ずやりとげる力がある」
スタンリーの言葉です。
そんな中、アフリカでの探検で、
行方不明となっていた
リヴィングストンを発見します。
また、ベルギーのコンゴ国際協会のために、
現地の首長と条約を結ぶなど活躍をしました。

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ベルリン会議

レオポルド2世のコンゴ領有宣言

コンゴの経済的重要性に着目した
ベルギーの国王・レオポルド2世は、
コンゴの領有を宣言します。

ビスマルク仲裁の「ベルリン会議」

コンゴの領有を宣言したレオポルド2世に
イギリスとポルトガルはそれを妨害しようとしました。
そこで、
ドイツの宰相、ビスマルクが仲裁のために
ベルリン会議(1884年~1885年)を主宰します。

アフリカという豊かな土地を
どうやってヨーロッパが分けるかを
決めたわけですね~。

目的

1884年、ポルトガルの要請により、ドイツのオットー・フォン・ビスマルク首相は、世界の主要な西側諸国を一堂に会し、アフリカ支配の混乱と問題解決に向けた交渉を終了させた。

ビスマルクは、アフリカに対するドイツの影響力の範囲を拡大する機会に感謝し、ドイツのライバルとアフリカの領土をめぐって争うことを望んでいた。

会議の当時、アフリカの80%は伝統的かつ現地の支配下にあった。このベルリン会議の結果、アフリカを50の不規則な国に分けた幾何学的な境界線の混乱が生じる原因になりました。大陸のこの新しい地図は、アフリカの1000の固有の文化と地域の上に重ねられました。

原則

ベルリン会議で決まったのは、

  • コンゴ盆地の自由貿易と中立化
  • コンゴ川及ニジェール川での「航行の自由」
  • 奴隷貿易の禁止
  • アフリカの土地を併合する場合、
    その地域での他国の権益と通商・航行の自由を
    確実に保証できる支配権を確立しなければならない
    (実効支配の原則)

そのためには、

  • 植民地の境界を画定
  • 現地に行政治安機構をつくる

ことが必要とされました。

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アフリカのその後

こうしてアフリカの植民地化は急速に進んでいきました
第一次世界大戦直前には、
アフリカの植民地はリベリア共和国エチオピア帝国だけになりました。

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参考文献

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