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太古時代

イザナギとイザナミの離婚劇~「神避る」に隠された縄文人迫害と出雲への帰還~

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日本神話において、国生みを行った夫婦神であるイザナギとイザナミの別離は非常に有名なエピソードです。神話ではイザナミが火の神を生んだ際の火傷が原因で死んだ(神避る)とされていますが、古代東アジアの歴史的視点から紐解くと、そこには**「縄文人への政策をめぐる決定的な対立」と、それに伴う「自発的な離縁と帰郷」**という生々しい人間ドラマが隠されていました。

この記事では、英雄イザナギの妻であったイザナミがなぜ彼を見限り、どのようにして故郷である出雲へ帰還したのか、その真実を徹底解説します。

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決定的な価値観の相違と夫婦の亀裂

筑紫(福岡県)の王殿宮殿において、イザナギは一族や重臣を集め、ついに「出雲討伐」を決定しました。

この決定に対し、妻であるイザナミの胸中は複雑でした。彼女の故郷である出雲では、古くから住む縄文人を同胞として扱い、弥生人と共に仲良く農作業をして暮らすという「共存共栄」のあたたかい社会が築かれていました。しかし、嫁ぎ先である筑紫の国では、イザナギたちは縄文人を「野蛮人」として蔑視し、奴隷にするか、用済みになれば無差別に殺戮するという残酷な政策をとっていたのです。

イザナミは何度も「縄文人を殺すのはやめてほしい」と夫を説得しましたが、武力による制圧を国是とするイザナギが聞き入れることはありませんでした,。出雲の平和な風土で育ったイザナミにとって、これ以上の残虐行為を許容することはできず、ついには夫に愛想を尽かして自ら離縁し、出雲へ帰ることを決意したのです。

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「神避る(かむさる)」の歴史的真実

『日本書紀』には、イザナミの最期について「神避(かむさ)りたまひぬ」と記されており、これを「死去」と解釈するのが一般的です。しかし、当時の言葉通りに受け取れば、これは**「神が去った」、すなわち王妃の座から退き、夫の元を去った**ことを意味していると考えられます,。

イザナミは、娘である天照大神(卑弥呼)や息子の月読尊と密かに連絡を取り、まずは邪馬台国の勢力下にあった九州の「基肄(きい)地方」へと身を隠したと推測されます(『日本書紀』の「紀伊国熊野」は、実はこの九州の基肄地方を指していると考えられます)。その後、娘の手引きによって高天原を抜け、豊国(福岡県東部)の方面から海路で出雲へと船出したのです。

当時の航海日数を踏まえると、北部九州から出雲までは船で約20日間の道のりでした。

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故郷・出雲での再起と「木坂姫」への回帰

約20日後、出雲へ帰り着いたイザナミは、実家である「佐太宮(現在の松江市鹿島町にある佐太神社)」へと向かいました。

そこで両親(於母陀流命・綾かしこね命)や弟(木坂美高彦)、そして重臣たちを集め、筑紫王国がどれほど強大に軍備を拡張しているかを語りました。平和に慣れきっていた出雲の人々は、迫り来る筑紫の巨大な脅威に対抗するため、自らの故郷を守り抜く防衛体制の構築を迫られます。

イザナミは、この国難を乗り越えるため、佐太宮を強固な城郭へと改修し、自らが陣頭に立って出雲を防衛する決意を固めます。そして、筑紫の王妃としての名を捨て、出雲で育った頃の本来の名前である「木坂姫(きさかひめ)」へと名乗りを戻したのです。

勝者である大和政権側が編纂した神話では「黄泉の国で醜く変わり果てた姿」として描かれたイザナミですが、その歴史的な実態は、自分と価値観の合わない冷酷な夫に自ら三下り半を突きつけ、愛する故郷と人々を守るために立ち上がった、気高く強い女性だったのです。

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