ヨーロッパの政治の分裂は、
大シスマ(教会大分裂)を
長期化させました。
フランス人の教皇クレメンス7世(アヴィニョン教皇庁)は、
- フランス
- ブルゴーニュ
- スコットランド
- カスティーリャ
の各君主から支持を得ました。
一方で、ローマ教皇であるウルバヌス6世を支持したのは、
- イングランド
- ポーランド
- ハンガリー
- 神聖ローマ帝国の大部分の諸侯
はローマ教皇ウルバヌス6世を支持しました。
イタリア・ローマ教皇と
フランス・アヴィニョン教皇は、
対立する側の教皇を支持する
ヨーロッパの
キリスト教徒を
破門しました。
キリスト教世界が混乱状態にあったので、
多くの知識を持った人たちは、
たとえ教会のルールや
教皇と対立することになったとしても、
キリスト教本丸の信者を代表する
公会議で人を集めることが必要であることが、
正しいと主張しました。
ピサ公会議(1409年)
ローマ教皇側でも、
アヴィニョン教皇側でもない、
中立の枢機卿たちは、
1409年にピサ公会議を開催し、
シスマ(教会分裂)を解決する
最初の実験を行いました。
ピサ公会議では、
公会議は
ローマと
アヴィニョンの
両教皇を廃位し、
新しい教皇を選出してみたが、
両教皇ともピサ公会議の権威を
認めませんでした。
つまり、
ヨーロッパには3人の教皇が出現し、
三皇鼎立(さんこうていりつ)という
状態になってしまった。
コンスタンツ公会議(1414年~1418年)
新教皇のヨハンネス23世は、
ドイツ王ジギスムントの布告に基づいて、
1414年にコンスタンツ公会議を開催しました。
出席した
- 枢機卿
- 司教
- 神学者
は、新教皇ヨハンネスと、
アヴィニョン教皇を廃位し、
ローマ教皇グレゴリウス12世が生前退位し、
マルティヌス5世が新しい唯一の教皇としました。
大シスマ(教会大分裂)とコンスタンツ公会議の影響
疫病や戦争の悲惨さと並び、
大シスマ(教会大分裂)は、
一般のキリスト教徒の中に
スピリチュアル・ライフへの
不安を抱かせるものになった。
信心の高い信者は、
聖地への巡礼で得られる
完全な赦免(罪の完全な許し)を
通じて自身の救いを求め、
贖宥状を購入したり、
徳を積むことで得られる
煉獄(天国と地獄の間にあり、
生前に犯した罪の重さによって、
滞在時間が決まると信じられた)への
滞在時間を少しでも
短くしようとしたりしました。
教会大分裂中は、
家庭でも信心が増加し、
マリアやキリストの
生涯や受難を描いた
持ち運びできるイラストや版画や、
特定のある日に
特定の祈りを捧げるための
ハウトゥーが書かれた
時祷書が購入されました。


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