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明治時代初期

1870年代の明治時代の経済史-政府主導の殖産興業-工部卿と内務卿-

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明治維新に至るまで、明治維新という混乱期はありましたが、
日本には江戸時代からの産業蓄積がありました。

大正時代をやらないといけないという指令を受けてますが、
明治時代の経済史の方が優先順位も重要度も高いと判断したので、
明治時代の経済史を先にやります。

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1870年代初期の明治時代の資本主義

1870年代の明治時代政府は、
資本の本源的蓄積期原始的蓄積期と言われます。

江戸時代から「読み書きそろばん」が発達しており、
町民はある程度読み書きができていました。

1881年(明治14年)に長野県の北安曇郡常盤村(現・大町市)で、15歳以上の「男子」882人を対象に行われた調査である。

村民の読み書き能力を八段階に分けたこの調査によると、自分の名前や村名さえ読み書きできない者が35.4%存在したらしい。彼らには識字能力がないことになるが、では残りの65%の男子が読み書きできたかというと、まったくそうではない。

生活上の必要があっただろう出納帳を書けるものはなんとか14.5%いたが、「普通ノ書簡」および「証書類」を自分で書けるものはわずか4.4%、社会の動きを知るために必要な「公布達」や「新聞論説」を読めるものに至っては、882人中15名、1.7%しかいない(「近代日本のリテラシー研究序説」島村直己など)。

「近代日本のリテラシー研究序説」島村直己

しかし、
村人は100人に1.7人ぐらいしか、
村人たちは字が読めなかった。

まぁ、村にも町人も武士もいますが。

しかし、まず、明治日本は外貨を獲得する必要があります。
そして、次の重厚長大産業へ向けてしっかりお金を貯めないといけません。
列強諸国に「追いつけ、追い抜け」の発展途上国日本でした。

明治日本は、政府による殖産興業をスローガンに、
産業育成が行われました。

江戸時代と変わらず、
官主導のもと、
産業の保護・育成が行われていきました。

武士が商売に手を出した感じです。

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工部省と内務省の設置

明治政府は、
1870年に工部省を設置します。
初代工部卿は長州藩士の伊藤博文です。
工部省は工業振興を担当しました。

1873年に内務省を設置します。
初代内務卿は薩摩藩士の大久保利通です。
内務省は農業育成や牧畜育成を担当しました。
明治時代の農政は大きな農業派と小さな農業派の政策が右往左往します。
品種改良や圃場整備などが進められていきました。

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政府の工場建設

明治政府は、

  • 東京砲兵工廠
  • 大阪砲兵工廠
  • 長崎製鉄所→長崎造船所
  • 横須賀製鉄所(のちに造船所へ)
  • 深川工作分局(セメント)

などを設置しました。

官営模範工場

上記の官営の軍事工場のほかに、

  • 富岡製糸場
  • 新町紡績所

などを官営模範工場として作ります。

富岡製糸場

富岡製糸場は、群馬県に設置された日本の近代産業振興の地盤となった工場です。
フランスの支援の元、技術が伝えられている。

技師はブリューナー。

工場では、たくさんの身売りの女の子が働いたりしました。

仕事上の体験記として書かれたのが、
和田英の「富岡日記」です。

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内国勧業博覧会

さらに政府は、
殖産興業の一環として、
1877年東京・上野で
第一回内国勧業博覧会」を
開催しました。

1879年には横浜で、
製茶共進会を開催しました。

共進会は部会のようなもので、その後も
繭共進会や糖共進会などが開催されました。

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参考文献

2024.04.12

「江戸時代の日本人の識字率は世界イチ」という説は「嘘」だった…!882人調査から読み解く、日本の「知性格差」

「江戸時代の日本人の識字率は世界イチ」という説は「嘘」だった…!882人調査から読み解く、日本の「知性格差」
まるで人間のような自然な作文をするAIが話題になった2023年、いくつかの新聞が、「読み書き」を巡る目立たないニュースを報じた。それは、国立国語研究所(東京)が、1948年以来実に75年ぶりに、全国的な識字率の調査を試みているというものだ。...

「近代日本のリテラシー研究序説」島村直己

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