前任の三木おろしのあおりを受けて、
福田赳夫内閣が成立します。
政治ユニット・三角大福中の三から福へと時代は変わっていきました。
福田赳夫内閣の特徴
福田赳夫内閣は右傾化が特徴です。
タカ派政権として知られています。
タカ派というのは軍事色豊かな政権のことです。
1978年には第二次オイルショックも発生し、
結局は経済的にも回復はできませんでした。
私は今回の日本の経済は大変な事態だと。まあ私の診断によれば、これは全治三カ年の大やけどをしたと言ってもいいような状態だと思うのです。
ー福田赳夫語録ー
と言っていましたが、結局は外国の運に負けて、
あまり経済成長は成し遂げられませんでした。
第二次安倍内閣のアベノミクスが海外の経済回復を生かして、
株価も連動して上がったのとは対照的と言えるでしょう。
福田赳夫内閣の政治的実績
日中平和友好条約の締結
日本:園田直外務大臣
中国:黄華外交部長
との間で日中平和友好条約は締結されました。
貿易摩擦と集中豪雨的輸出
日本とアメリカとの日米貿易摩擦の難題にあたったのが、
1960年代から1990年代にかけてです。
日本衰退のきっかけを作ったのは
このあたりの時期です。
日米貿易摩擦の解消として、
1970年代は鉄鋼やカラーテレビ、工作機械の
対米譲歩を図る形となりました。
自動車は1970年代は守ったのですが、
1980年代には半導体や自動車といった
大事な産業にもアメリカの魔の手が襲いかかります。
日本から洪水のように輸出していたため、
集中豪雨的輸出といいます。
アメリカやヨーロッパは対日貿易赤字になり、
アメリカやヨーロッパから日本製品の規制を求められるようになりました。
省エネキャンペーンの展開
政府は不況からの脱出に努めてまいりましたが、
不況克服法で政府が選んだのは、
産業の減量化と合理化でした。
官民協力のもとに
省エネキャンペーンが張られました。
- 夜の街からネオンを消す
- デパートの影響時間の短縮
- 人員整理
などが行われていきました。
日米ガイドラインの制定
1978年に「日米防衛協力のための指針」
通称日米ガイドライン、あるいは単にガイドラインが制定されました。
有事の際には、アメリカと日本が共同作戦をとることが決められました。
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