さて、
岩倉具視によって、
岩倉外交が行われましたが、
あとを引き継いだのが、
寺島宗則でした。
関税自主権の回復を目的として、
欧米列強との交渉を進めました。
吉田・エバーツ条約
1878年、アメリカ・イギリス・ドイツと、
吉田・エバーツ条約を取り決めます。
吉田・エバーツ条約は、
日本の関税自主権を認めるもので、
アメリカは賛成しました。
しかし、イギリスとドイツが反対したため、
あとがきがついたため、
失敗に終わります。
イギリスとドイツは、
日本が他の国々とも同じ内容の条約を締結した場合、
この吉田・エバーツ条約の効果は発動する
という条文を付け足したのです。
そのため、
この吉田・エバーツ条約は、
日本の外交的な傷に塩という形になりました。
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