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明治時代初期

明治時代初期の日本の近隣外交(中国・朝鮮・台湾・琉球・ロシア)

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明治時代のはじまりの頃、日本は一体周辺の国々とは
どういった関係だったのでしょうか?

以前から、戦争史を多くまとめていますが、
個人的に第三次世界大戦が近いとは、幕末の項目をまとめている頃から
想像していました。

第二次世界大戦よりは、
日清・日露戦争のほうが歴史的には近いと思ってるので、
日々、日進月歩で記事をまとめてます。

そのような中で、日本と、中国やロシアも含めた周辺国の外交を日本視点でお届けします。

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日本と清との国際外交

日清修好条規

1871年、日本と清は日清修好条規を結びました。
日本が結んだ最初の対等条約です。

日清修好条規の全権大使は、

  • 日本・・・伊達宗城(宇和島藩主/現在の愛媛県南部)
  • 清・・・李鴻章(下関条約でも出てきます/清の幹部政治家)

です。

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日本と朝鮮の国際外交

1875年、征韓論の政治家が去った後、
大久保利通らが起こした江華島こうかとう/カンファド事件をきっかけに結んだ、
日本と朝鮮の不平等条約日朝修好条規(江華島条約)といいます。

日本もロシアから侵略される恐怖があり、
列強からの保身のために朝鮮半島という盾が欲しかった経緯があります。

https://www.h-geography.net/topography/asia/east-asia/korean_terrain/

なので、この頃の日本は対ロシアのために、日露国境を埋めようとしていました。
20世紀後半から21世紀の朝鮮半島は、植民地時代のタイのように
中立国とするためにわざわざ分割しています。

不平等条約は列強が日本にしてきたものと同じ内容。

  • 朝鮮半島の日本の関税自主権喪失。
    =朝鮮半島の日本の無関税特権を承認。
  • 日本の領事裁判権を認める。
  • 釜山・仁川・元山の3港の開港です。

日本も生き残るために、必要な措置だったのかもしれませんね。

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日本と台湾の国際外交

台湾に対しては、台湾人の琉球船の台湾遭難事件で琉球人が54人殺される事件が起こりました。

今でこそ大都会の台湾ですが、
当時は中国本土も蔑視する未開の地であり、
代表的なのは
高砂族という進撃の巨人みたいな首切り民族である
原住民族が抵抗勢力として住んでいました。

21世紀でいうならば、
インドの北センチネル島みたいな感じでした。

台湾では、日本の統治時代に度々反乱を起こします。
朝鮮半島に比べても、台湾の統治は困難を極めました。

この本で読書感想文を高校の頃提出しました。
少し保守層よりですが、その偏りを除くといい本です。
タイトルの逆の内容で、当時、ビックリしたのを覚えています。

琉球人虐殺の大義名分を得た、
明治政府は1874年に台湾出兵が強兵されました。

これを征台の役といいます。

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日本と琉球の国際関係

台湾の方で先に出ましたが、征台の役の頃はすでに琉球は日本領でした。

1872年に琉球藩を設置します。
琉球王朝は戦国末期から薩摩藩に従属していました。
正式に日本に編入されたのはこの頃と言えるでしょう。

藩王は尚泰です。
尚家は琉球王朝の王家の名字です。
ですので、藩主ではありません。

藩王はインドでも用いられました。
ムガル帝国でもイギリスの支配で藩についてイギリスも困るほど複雑でした。ムガル帝国では藩王国といいます。

1879年、廃藩置県で琉球は沖縄へと変わることになっていきます。
これを琉球処分といいます。

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日本とロシアとの国際関係

日露和親条約で樺太は日露両国人の居住地となっていました。
アイヌ人などが日本人でもロシア人でもなく暮らしていました。

これは日露和親条約で決められました。

私は日露の北方領土問題は、緩衝国を人工的に作るのが解決できるのではないか?
と思っています。大義名分はアイヌ人の民族自決で、裏の目的は日露の防壁。

おそらくその当時の方々も、樺太を緩衝地帯にしようとしていたのでしょう。

でも、当時の国際法が整ってくると、
1つの領土は1つの国家が原則となって揉め始めました。

樺太放棄論を唱えた黒田清隆は、当時の列強ロシアには経済的・軍事的に敵わないと判断しました。今では経済では考えられないですよね~。

ロシアとの間では、
千島樺太交換条約が結ばれました。
日本側は全権大使は榎本武揚で、外務卿は寺島宗則です。

占守島以南はその時、日本領と定まり、
現在でもその条約を否定する条約は存在していません。
サンフランシスコ平和条約でもソ連は不参加でした。

占守島とロパトカ岬の間が国境となりました。

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参考文献

征韓論(セイカンロン)とは? 意味や使い方 - コトバンク
デジタル大辞泉 - 征韓論の用語解説 - 明治初期の対朝鮮強硬論。特に、明治6年(1873)西郷隆盛・板垣退助らによって排日・鎖国下の朝鮮に出兵しようとした主張をさす。内治優先を唱える岩倉具視・木戸孝允・大久保利通らの反対で西郷らは官を辞して下野。→明治六年の政変
沖縄の歴史

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