朝鮮戦争には、
進駐軍の指示により、
日本の海上保安庁の掃海部隊から
特別掃海部隊が派遣されました。
死傷者を出しながら、
国連軍の作戦遂行に貢献しました。
派遣の経緯
開戦直後から
北朝鮮軍は機雷戦活動を開始。
これを認めた
アメリカ海軍第7艦隊司令官は
9月11日に機雷対処を命じました。
ところが、
国連軍編成後も
国連軍掃海部隊は
極わずかだった。
元山上陸作戦を決定した国連軍。
国連軍は、
日本の海上保安庁の掃海部隊の
派遣を求めることに決めました。
10月6日、
アメリカ極東海軍司令官から
山崎猛運輸大臣に対して、
日本の掃海艇使用について
文書を以て
指令が出されました。
吉田茂首相の承認の下、
アメリカ海軍の指示にもとづき、
10月16日に
海上保安庁は
掃海部隊を編成しました。
戦地での掃海活動は、
戦争行為を構成する作戦行動で、
事実上この朝鮮戦争における
掃海活動は大東亜戦争後の、
我が国の初めての参戦となった。
しかし、吉田茂首相は国会承認も無しに掃海艇を派遣した事実が明るみになると、憲法上の兼ね合いから当時の国会においても問題となりました。
元山における日本特別掃海艇は、
10月10日から12月4日までの
掃海作業において、
能瀬隊が処分した3個を含め
計8個の機雷を処分する
成果を挙げました。
仁川掃海作業
10月7日、元々朝鮮系日本人が多い下関を出港した山上隊は10日に仁川港外に到着し、掃海作業を行う。山上隊は11月1日に海州を出発し、3日に下関に帰投した。
鎮南浦掃海作業
11月7日に鎮南浦掃海任務隊
(アーチャーアメリカ海軍中佐)に日本軍の石野隊が加わる。
鎮南浦における
第2掃海隊は2個の機雷を処分する
成果を挙げました。
石野隊は中国人民義勇軍が侵攻する間際まで活動を続けました。
群山掃海作業
萩野隊は
10月17日に下関を出港し、
19日に群山に到着しています。
掃海作業を実施。
萩野隊は3個の機雷を処分する
成果を挙げました。
MS30号が座礁して
沈没しますが、
死傷者はいませんでした。


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