近代化の一環として、
鉄道がはじめて日本に導入されました。
イギリスに遅れること約47年のことでありました。
鉄道(陸蒸気)
鉄道は当時は「金を失う道」とよんで揶揄する人もいました。
実際、年間21万円も鉄道事業で当時は儲かったそうです。
当時の男性の年収が3円70銭の時代でしたので破格の儲けです。
実際、誰かが金を失っていた道なのでしょうね。
新橋・横浜間開通
1872年9月12日には、新橋・横浜間でイギリスの援助で鉄道が開通しました。
今まで徒歩で丸一日かかっていた新橋・横浜間を約53分で結びました。
これが官製鉄道の最初のルートです。
当時は鉄道に対して反対運動が多く、1/3が海上レールになりました。
走ったのは陸蒸気と呼ばれる蒸気機関車です。
大隈重信は、イギリス人技師・モレルの説得により、標準軌ではなく狭軌を選択しました。世界的には標準軌が採用されていました。大隈重信は軌間を理解しておらず、狭軌を選択したことを「一生の不覚」と述べました。
大阪・神戸間開通
続く1874年、大阪・神戸間で鉄道が開通されました。
新橋・横浜間もそうでしたが、大都市と貿易港が優先的に結ばれたようですね。
鉄道事業のその後
1889年には東海道線が開通、
1901年には山陽本線が開通します。
私鉄事業者も続々と参入しており、
鉄道事業は繁栄していきました。
海運
港まで荷物を運んだ後は
海外に売り出すために、海運会社も必要でした。
三菱汽船会社
岩崎弥太郎は土佐藩士がつくった海運会社・九十九商会を継承し、
さらに土佐藩の借金を肩代わりする代わりに、藩有の汽船を手に入れました。
三川商会と名を変えた後、さらに、三菱商会、三菱汽船会社と変わって発展していきます。
征台の役(台湾出兵)や西南戦争で、軍事物資を輸送して利益を上げました。
共同運輸会社
三菱に対抗して三井を中心に運営されたのが、
品川弥二郎を中心に創設された共同運輸会社です。
日本郵船会社
1885年、三菱汽船会社と共同運輸会社は合併します。
そこでできた会社が日本郵船会社です。
日清戦争の前後になると、
ボンベイ航路・欧米・オーストラリア航路まで開いて、
近代最大の海運会社として発展します。
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