聖職者への課税を巡って、
フランス王フィリップ4世と
対立していた
ボニファティウス8世は、
教皇令「ウナム=サンクタム」を出し、
すべての人間が教皇に服従すべきだと、
教皇は主張しました。
1303年、フィリップは部下にアナーニに滞在中の
ボニファティウスを捕縛させました。
これをアナーニ事件といいます。
救出されたボニファティウスはまもなく死亡。
続く2人の教皇は
すぐにフィリップの罪を許しました。
ボニファティウスの苦境は、
普遍的な教会の権威が
強大な君主国に対して
劣勢であることを示しました。
1309年に教皇庁は、
ローマの混乱を大きく避けて、
当時のフランス王国に隣接する都市であることを
アヴィニョンに定着しました。
これをアヴィニョン教皇庁といいます。
戦争、病気
そしてアヴィニョンの教皇への
不満によって起こされた
教会の危機は、
ヨーロッパの
スピリチュアル・ライフ
すなわち霊的生活に
大きく影響しました。
1309年に教皇庁が
ローマからアヴィニョンに
移動したことは、
とくにイタリアで
反発を引き起こしました。
パドヴァのマルシリオ(聖職者)や、
オッカムのウィリアムのような
教皇権への批判者たちは、
出家した人もしてない人が
集まって教会を形成して、
権力を握ると主張しました。
これを人民主権説といいます。
これらの批判を受け、
1377年に教皇グレゴリウス11世は、
アヴィニョンを離れて、
ローマに帰還しました。
教会大分裂
しかし、
1378年の
グレゴリウス11世の死去に伴う、
教皇選挙の際には、
イタリア人の選出を主張する
ローマの民衆が
暴動を起こしました。
そのため、
枢機卿たちは、
イタリア人の
ウルバヌス6世を
教皇に選出。
ウルバヌスは教皇に選出された
フランス人の教皇クレメンス7世は、
教皇庁をアヴィニョンに戻しました。
ここにローマと
アヴィニョンに
2人の教皇が並列する
大シスマ(教皇大分裂1378~1417年)が
始まった。


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