太政官制とは?
太政官制とは、
内閣制度成立までの間の新政府の機構のことです。
太政官制は、三院制で、
最高機関を正院、
立法諮問機関を左院、
政務機関を右院といいました。
正院
正院は、
- 太政大臣
- 左大臣
- 右大臣
- 参議
で構成されました。
太政官制のもとで、太政大臣に三条実美、左大臣に島津久光、右大臣に岩倉具視がそれぞれ役職に就きました。
省
正院の下には、以下の各省が設けられた。
- 宮内省
- 参事院
- 司法省
- 開拓使
- 工部省
- 農商務省
- 文部省
- 内務省
- 外務省
- 兵部省
- 大蔵省
- 神祇省
司法省の新設
司法省は1871年に刑部省と弾正台を合わせてできたものです。
神祇省の廃止と教部省の設置
1872年に神祇省は廃止されて、3月、国民教化のために教部省が設置されました。
兵部省の分割
兵部省は1872年に分割されて、陸軍省と海軍省になりました。
左院
左院は立法諮問機関です。
右院
右院は、
各省の長官にあたる卿と
各省の次官にあたる大輔で
構成される連絡機関とされました。
藩閥政府
以上のような、官制改革の結果、
薩長土肥(特に薩長)の下級武士出身の官僚たちが、
政府部内で実権を握るようになり、
公家出身者は三条実美・岩倉具視を除くほとんどが勢力を失っていきました。
こうして、「有司専制」の藩閥政府が形成されていきました。
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