大正デモクラシーというのは、
明治憲法の枠内において、
民主化方向に切り崩そうとする
自由主義的・民主主義的な潮風のことです。
大正デモクラシーを支えた思想は2つあります。
1つが吉野作造の「民本主義」。
もう1つは美濃部達吉の「天皇機関説」です。
民本主義
吉野作造は、
1916年に雑誌「中央公論」に
「憲法の本義を説いて其の有終の美を済すの途を論ず」という論文を発表して、
民本主義を提唱しました。
これは民本主義とは違います。
民本主義とは、
主権運用が
天皇にあるか?臣民にあるか?ではなく、
主権運用の目的が、
民衆の福利増進を目的におかれていることを主眼に置きました。
主権は民衆本位。略して民本といいます。
民本主義は当面の間は、
普通選挙と政党政治の実現がゴールでした。
天皇機関説
美濃部達吉の天皇機関説は、
彼の著書「憲法講和」と「憲法撮要」の両方に入っています。
「憲法講和」の中では、
天皇機関説の他に、
政党内閣論も主張しています。
天皇機関説というのは、
統治権の主体は法人としての国家にあり、
天皇は国家の最高機関にしか過ぎないという考え方です。
だから、
天皇機関説は国家法人説ともいいます。
ところが、
世はまさに大日本帝国憲法の時代。
主権は天皇にあるはずだ!と怒った人がいました。
いつの時代もあまり変わりませんね。
天皇機関説に反対した人は、
上杉慎吉と穂積八束です。
大正デモクラシーの発展
こうした理論に基づいて、
平塚らいてうや市塚房枝らの婦人運動や、
労働運動や労働組合の結成、
農民運動や社会主義運動、学生運動、
部落解放運動や無産政党の結成などが行われました。
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