大同団結運動とは何か
大同団結運動(だいどうだんけつうんどう)とは、1880年代後半に、分裂していた民党(自由党系・立憲改進党系)が再び結集し、政府に対抗しようとした政治運動です。
中心人物は
後藤象二郎 であり、
👉 「小異を捨てて大同につく」(違いを捨てて団結する)
という理念のもとに進められました。
背景:自由党解党後の再編
1884年に自由党が解党すると、民権運動は一度大きく後退します。
しかしその後、
・政府の専制化への不満
・政治参加への要求
が再び高まり、
👉 民党勢力の再結集=大同団結運動へ
とつながりました。
民党の再結集
この運動には、
・自由党系
・立憲改進党系
の双方が参加しました。
代表的な人物👇
・後藤象二郎
・星亨
・尾崎行雄
・中江兆民
それぞれの役割
後藤象二郎
→ 団結の中心
星亨
→ 政治実務・交渉
尾崎行雄
→ 言論・議会志向
中江兆民
→ 思想的支柱(ルソー思想)
三大事件建白運動とは
大同団結運動の中で展開されたのが
👉 三大事件建白運動(さんだいじけんけんぱくうんどう)
です。
政府に対して、以下の3つを要求しました。
三大要求
① 言論・集会の自由
② 地租軽減
③ 外交失策の挽回
内容の意味
① 言論・集会の自由
→ 政府の弾圧への抵抗
② 地租軽減
→ 農民の負担軽減
③ 外交失策の挽回
→ 不平等条約などへの不満
約570名の請願
この運動では、
👉 約570名の民権派が連名で政府に建白書を提出
しました。
これは当時としては非常に大規模な政治運動でした。
政府の対応:黒田清隆政権
これに対して政府は強硬姿勢を取ります。
中心となったのは
黒田清隆 政権です。
井上馨と外交問題
・井上馨 は外交を担当
・条約改正交渉が不評
👉 国民の不満が爆発
逓信大臣ラインの掌握
政府は通信・情報を押さえるため、
👉 逓信(ていしん)行政を掌握
これにより
・情報統制
・運動の抑え込み
が進められました。
保安条例による弾圧
1887年、政府は
👉 保安条例(ほあんじょうれい)
を発布します。
内容
・政治活動家の東京追放
・集会・言論の制限
皇居外3里追放
👉 約570名の民権派が
皇居(こうきょ)から3里(約12km)圏外へ追放
されました。
追放期間
👉 3年間の追放
これによる影響
・民権運動の指導者が排除
・政治運動の弱体化
民権運動の終焉
この一連の流れにより
👉 自由民権運動は事実上終焉
を迎えます。
なぜ終わったのか
・政府の強力な弾圧
・指導者の排除
・運動の分裂
全体の流れ
自由党解党
→ 大同団結運動
→ 三大事件建白運動
→ 約570名が請願
→ 黒田清隆政権が弾圧
→ 保安条例
→ 皇居外3里・3年追放
→ 民権運動の終焉
まとめ
・大同団結運動は民党再結集
・三大事件建白運動で政府に要求
・黒田清隆政権が強硬弾圧
・保安条例で指導者追放
・自由民権運動は終焉へ
一問一答
Q:大同団結運動とは?
→民党の再結集運動
Q:三大事件とは?
→言論自由・地租軽減・外交是正
Q:保安条例とは?
→政治活動家の追放法
Q:結果は?
→民権運動の終焉






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