井上馨ははじめは、
外務卿でしたが、
のちの内閣制度が導入されてからは、
日本で初めての外務大臣となりました。
関税自主権の喪失と、
領事裁判権の撤廃に向けて、
挑んでいくことになります。
主義:極端な欧米化政策
井上馨は条約改正に向けて、
欧米列強と有利に交渉を進めるため、
極端な欧米化政策を取ります。
都会の中でもごくわずかな地域だけ、
欧米化をほどこし、
ポツンと欧米化状態になりました。
鹿鳴館と鹿鳴館時代
その最たるものが、
鹿鳴館でした。
鹿鳴館では連日連夜、
舞踏会が繰り広げられ、
極端に欧米化していきました。
人はこの時体を、
鹿鳴館時代と呼びました。
鹿鳴館の設計者
鹿鳴館の設計者は、
コンドルです。
イギリス人の建築家ですね。
コンドルは、ニコライ堂なども
建築しました。
井上外交への批判
農商務大臣だった谷干城と
フランス人法学者・ボアソナードらは、
「鹿鳴館で踊るのが外交か」
と強く抗議しました。
ノルマントン号事件
ノルマントン号事件は、
領事裁判権を撤廃したほうがいいという
国民もはっきり理解する事件でした。
ノルマントン号事件の概要
イギリスの貨物船・ノルマントン号は、
紀伊半島沖で座礁します。
- イギリス人は全員救助
- 日本人は全員溺れ死んだ
という苦々しい事件です。
海事審判でイギリス人船長優位な判決がなされ、
ノルマントン号の船長は当初は無罪となりました。
井上馨外交とノルマントン号事件の結果
ノルマントン号事件の結果、
日本の民衆は、
- イギリス人だけ助かるなんておかしい!!
- 不平等だ!!
- 領事裁判権を認めているからだ!
領事裁判権を撤廃しろ!!
との国民世論が活発化して、
井上馨外交は失敗に終わったと言えるでしょう。
ただ、日本臣民が、
ノルマントン号事件を契機に、
領事裁判権の撤廃の必要性を感じたのは、
大事なことでした。
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