西暦1000年以降、ヨーロッパの人口は増え続けました。
人口が増え続けたので、商業取引が爆発的発展と新しい都市や農村の建設が盛んになりました。
1100年頃、地中海で自由航海が盛んになって、
地中海貿易が繁栄しました。
時を同じく、陸路でも北ヨーロッパからシャンパーニュ地方を通じて、
南ヨーロッパに至る街道は、
その一例である。
ドイツのブレーメン街道もその一例です。
当時、シャンパーニュ地方の大市は、隆盛を極めていて、
ヨーロッパ各地から商人が集まって、
持ち寄った商品の交換が頻繁に行われた。
ところが、1300年頃、
こうした発展に大ブレーキをかけるのが、
大飢饉である。
1316年から15世紀後半にかけて、
ヨーロッパは逆境と危機の時代に再び見舞われることになりました。
多くのヨーロッパ地域で、経済が停滞もしくはさらに後退しました。
ヨーロッパはまもなく没落します。と、
性急に判断を下してはいけません。
経済の領域が衰退する一方で、
他の領域ではヨーロッパも少しは華やかだった。
その上、経済の衰退は全ヨーロッパで起こった訳ではない。
例えば、フランスでは全地域で経済が崩壊しました。
それは時代の不運であるペストや飢饉と同時に
慢性的なエルサレムへの十字軍遠征の費用がかさんだためです。
これとは逆にヨーロッパでも繁栄した地域があります。
フランドル地域やブラバント地域のような諸地域では
経済の隆盛が見られました。
つまり、
衰退と発展の移り変わりにおいて、
まさしく交替と移行のストーリーが行われたのです。
多くの事実で、こうした事態が明らかになります。
フランドルの毛織物工業が没落すると、
反対にブラバントの毛織物工業が発展する。
また、
シャンパーニュ地方が国際商業都市として発展してきたとともに、
シャンパーニュ地方はそのうち国際商業都市としての役割を終えます。
この国際商業都市の役割はジュネーヴとドイツの諸都市に移されます。
その後、ライプツィヒに受け継がれたのです。
一方で、地中海では
ブドウ栽培が勃興します。
ボルドーのブドウ栽培の凶作もありつつ、さらに勢いづきました。
デンマーク産のバターは十字軍遠征の影響で落ちた、
ノルマンディー産バターに取って代わりました。
フランスのブールヌフ湾の塩に
ポルトガルのセトゥーバルの塩が取引されるようになりました。
この十字軍遠征の時期のヨーロッパでは、
ヨーロッパの没落というよりは、
ヨーロッパ社会の変化の躍動の時代と言った方が良い。
時代の活力も危機の時代にうまく泳いでいったものだからだ。
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