前回、
でフランス国王ルイ16世は幽閉され、
王権は停止しました。
そのような混乱の中、
フランスは一体どこへ向かうのでしょうか。
国民公会の成立
1792年8月末から9月初めに実施した男性普通選挙により、
1792年9月に国民公会(Convention Nationale)が成立します。
国民公会は、王政廃止と共和政(第一共和制)の樹立を宣言します。
国民公会には、もう立憲君主制のフイヤン派はおらず、
共和派のみでジロンド派が政権を担当していました。
という訳で、
議場の最右翼にいたフイヤン派は消滅し、
ジロンド派が右翼に移り、
急進的な共和派のジャコバン派(山岳派)が左翼になり、
敵対しました。
ジャコバン=クラブは山岳派が
支配するようになりました。
穏健な中間グループは平原派と呼ばれ、
両派の間をさまよっていました。
ヴァルミーの勝利
フランス革命軍は、9月20日ヴァルミー(Valmy)で敵の侵入軍を撃退し、
ライン川左岸やネーデルラントを占領しました。
革命軍は最初の軍事的勝利を経て、
逆襲に転じることができました。
フランス国王ルイ16世らの処刑
国民公会で国王の裁判が始められました。
国王は公的自由に対する陰謀と、
国歌の安全の審判により、
数名の棄権をのぞき、
満場一致で有罪とされました。
山岳派の提案した国王の死刑は可決され、
ジロンド派が提案した死刑執行延期は否決されました。
1793年1月21日朝、革命広場(のちのコンコルド広場)で、
ギロチンによるルイ16世の処刑が行われました。
第一回対仏大同盟
革命軍の攻勢と国王の処刑は、
イギリスを始めとするヨーロッパ諸国の革命への敵意と警戒心を強めました。
イギリスのピット首相の呼びかけで、
1793年に第1回対仏大同盟を結成します。
イギリス・オーストリア・プロイセン・スペイン・オランダなどが参加しました。
ヴァンデー県の農民の反乱
フランス国内では、ヴァンデー県で王党派が指導する農民反乱が起こります。
食糧不足とインフレで民衆の不満が高まっていたからです。
フランス革命リスト
- フランス革命とその原因と背景
- フランス革命①はじまり~バスティーユ事件と大恐怖~
- フランス革命②~ラ=ファイエットら起草の人権宣言~
- フランス革命③ヴェルサイユ行進と国民議会の諸改革
- フランス革命④ヴァレンヌ逃亡事件の理由とピルニッツ宣言
- フランス革命⑤立法議会とフイヤン派vsジロンド派vsジャコバン派
- フランス革命⑥~オーストリアへの宣戦と八月十日事件~
- フランス革命⑦国民公会とルイ16世の処刑と第1回対仏大同盟
- フランス革命⑧山学派の独裁と恐怖政治
- フランス革命⑨テルミドールのクーデターと総裁政府
- フランス革命⑩
コメント