日本も生活苦ちいよ。
な状態ですね。
- 原油高
- 円安
- 物価高
の三重苦ですね。
まるでセルフ制裁の状況です。
結局、今の日本人も
「誰か、まともな政治家、ちゃんとした国にしてくれ」
な状態でしょう。
そこで、ナポレオンシリーズもついに進めていきます。
ナポレオンはあんまり最後がみっともないので、
筆が進みませんでしたが、頑張りますよ。
ジャコバン派(穏健左派)の復活
フランス王国では総裁政府が誕生しましたね。
物価高による生活の苦しさにより、
国民の不満を背景に
ジャコバン派(左派)が復活。
また、社会的・政治的恐怖を利用した
愛国主義・王党派右翼の台頭もありました。
カリスマ的独裁者の渇望
また地方の有力な市民である
有産市民やゆたかな農民は、
フランスの混乱を収拾し、政治を安定させ、
フランス革命の成果を永続的に保証できる
- 強い
- すごい
- 魅力的
- たのもしい
- カリスマ的
な指導者の登場を待ち望みました。
ナポレオンの登場
そのような中あらわれたのが、
ナポレオン=ボナパルトです。
ナポレオンはフランス国民の希望と期待を背負って登場します。
ナポレオンの若い頃の経歴
ナポレオンはフランスでは辺境の地で、近くて遠い島・コルシカ島生まれ。
どちらかといえば、イタリアに近い島。
ナポレオンはそこでイタリア系の貧しい貴族の家に生まれました。
フランスの士官学校で優秀な成績を修め、
砲兵将校となりました。
ナポレオンはフランス革命軍に加わり、
そのカリスマ的な軍事の天賦の才が認められました。
テルミドールのクーデターでは、
ロベスピエール派(極左)として疑われ、
一時的に将兵の地位を奪われました。
しかし、パリの王党派(右翼)の反乱を鎮圧して、
総裁政府の信頼を勝ちえ、見事に復活しました。
オーストリア攻略戦
フランスは第1回対仏大同盟で結構ピンチな状態でしたが、
それを見事に打ち破ります。
勢いのある国は違いますね。
1796年のオーストリア攻略戦では、
イタリア系フランス人でイタリアに精通している
ナポレオンが司令官に抜擢。
兵力でまさるサルデーニャ・オーストリア同盟軍を見事に破った
ナポレオン。
カンポ・フォルミオの和約を結び、
第1回対仏大同盟は崩壊しました。
天賦のナポレオンの軍事的・政治的才能を
いかんなく発揮しました。
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