1929年のニューヨーク株価大暴落に端を発した世界恐慌は、アメリカ資本への依存度が高かったドイツ経済を直撃しました。1920年代後半の相対的安定期は終わりを告げ、ドイツ社会は深刻な混沌へと突き進んでいくことになります。
1. 経済の破綻と政治のゆらぎ
1930年に入ると景気後退は加速し、ドイツの失業者は300万人を突破しました。さらに1931年には、主要銀行の倒産をきっかけに金融危機が発生。工業生産は恐慌前の3分の2にまで落ち込み、街には職を失った人々が溢れかえりました。
深刻な財政赤字に直面した政府内では、失業保険の給付水準をめぐって激しい労使対立が勃発します。この調整に失敗した1930年3月、社会民主党を中心とするミュラー連合内閣は倒壊しました。これは、ドイツにおける議会制民主主義が実質的に機能不全に陥った歴史的転換点となりました。
2. 権威主義への回帰:ブリューニング内閣の登場
ミュラーの後に登場したのが、中央党のブリューニング内閣です。ヒンデンブルク大統領の信任を背景に、保守派や軍部が支持するこの内閣は、国会多数派工作をあきらめ、議会の支持を持たない少数派内閣として発足しました。
ブリューニングは、激しいデフレ政策を強行します。
- 増税の実施
- 社会保障の削減
- 物価と賃金の強制引き下げ
これらの過酷な措置は国会で拒否されましたが、彼は憲法48条の大統領緊急令を乱用して強行突破をはかりました。
3. ナチ党の躍進と「より小さな悪」
経済苦境への不満は、既存政党への不信感となり、極右・極左勢力への支持へと流れます。1930年9月の選挙では、それまで小政党に過ぎなかったヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が、100議席を超える議席を獲得して大勝し、国会第二党へと躍り出ました。
ナチスの組織構造 ドイツ語の略称であるナチス(Nazis)は複数形であり、単数形はナチ(Nazi)です。彼らは突撃隊(SA)や親衛隊(SS)といった暴力装置を用い、共産党などの政敵を物理的に圧倒しました。
一方、共産党も議席を伸ばし、中央の共和国政府は左右両極からの攻撃にさらされます。最大の民主主義勢力である社会民主党は、最悪の事態(ナチスの政権獲得)を避けるため、ブリューニングの緊縮財政を消極的に支持する**「より小さな悪論」**を選択せざるを得ませんでした。
4. 外交の変質と破局
経済難を背景に、外交方針もかつてのシュトレーゼマン外交(国際協調路線)から、より攻撃的な修正主義へと移行します。1931年に打ち出されたオーストリアとの関税同盟案は、フランスやポーランドの強い警戒を招き、国際的な孤立を深めました。
1932年、失業者はついに600万人に達します。国民の絶望が極限に達する中、ヒトラーはヴェルサイユ条約の打破を叫び、議会制民主主義の息の根を止めるべく、権力の座へと王手をかけることになります。
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