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明代の中国

北虜南倭による明朝の衰退

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明代の中国
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前回、

永楽帝の治世と明の隆盛と南海諸国遠征
...

において、朝貢貿易が拡大する明朝でしたが、
永楽帝の死後は、朝貢貿易が拡大することはありませんでした。
「北虜南倭(ほくりょなんわ)」への対応が
忙しくなるからです。
今回は、北虜南倭によって、
明朝の衰退を見ていきましょう。

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北虜南倭とは?

北からはモンゴル系の部族・オイラトやタタールに苦しめられ、
南からは倭寇(わこう)によって、南部の沿岸を襲われた苦労を
まとめたものです。

北虜とは?

北虜とは、モンゴル系の部族オイラトやタタールからの圧迫のことです。

土木の変

土木の変どぼくのへん(1449年)は、正統帝(英宗)が捕虜になった事件です。

 

オイラト部のエセン=ハンが
モンゴルを従えた強力な軍事力を背景に
交易求めて、明へ南下します。

対する明朝は第6代の
正統帝(せいとうてい/英宗/えいそう/在位1435年~1449年)は
自ら軍を率いて討伐に向かいました。

土木堡(どぼくほ/河北省北部)で明軍は全滅し、
正統帝は捕虜になりました。

明は弟(景泰帝/けいたいてい)を即位させ、
北京防衛につとめました。

エセン=ハンは北京をなかなか落とせず、
和議を結び、正統帝は釈放され、モンゴル高原へ引き上げていきました。

北京包囲

16世紀には勢力の衰えたオイラト部に代わり、
ダヤン=ハンの出現によって、モンゴル東部にタタール部が勢力を伸長します。

やがてダヤン=ハンの孫のアルタン=ハンが指導する
タタール部が1550年に北京を包囲し、明朝を圧迫します。

アルタン=ハンは青海やチベットも勢力下に組み込みました。

「長城」

明はオイラト部の侵入以降、長城を増築・整備して北方民族の侵入に備えました。

このときの長城が現在のもので、
東の山海関から西の嘉峪関(かよくかん)までの間には、
二重に長城が張り巡らされたところもあり、
その全長は延べ2400kmにおよび、
さらには一定の距離をおいて、
望楼や砦が配置されています。

南倭とは?

明の南海でも倭寇の被害に苦しめられました。
倭寇は武装した商人や海賊から構成されました。
元代から倭寇はみられました。

前期倭寇

明は国ができた当初から倭寇の対応に困まり、
洪武帝は日本の室町幕府にその対処を求めました。
室町幕府将軍・足利義満は、
朝貢貿易の利益を目的に、
1404年に遣明船を派遣し、
勘合貿易をはじめました。
勘合貿易をはじめたため、倭寇は減少しました。
このように日本人が中心となった
初期の倭寇を前期倭寇といいます。

後期倭寇

16世紀になり、室町幕府の統制が効かなくなると、
再び倭寇が増加します。
これに加えて、明では永楽帝以降、海禁政策が強化され、
民間貿易や海外渡航が禁止されました。
海禁政策に不満を持つ中国人が日本人と結託して、
さかんに密貿易や海賊行為を行うようになりました。
この中国人主体の倭寇を、
後期倭寇といいます。
後期倭寇は、こうして増大する倭寇に対して、
明は戚継光(せきけいこう)を派遣して討伐させました。
そうすると、ようやく倭寇の勢いが衰えました。
また、日本の豊臣秀吉が天下を統一し、
倭寇を厳重に取り締まったために、
16世紀末にはその跡を絶ちました。

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まとめ

このように北虜南倭に苦しめられた明朝でした。
海禁政策を緩めざるをえなくなった結果として、
日本銀やメキシコ銀が貿易の代償として
大量に中国に運ばれました。

国内における銀の流通はさかんになり、
貨幣経済が国内中に浸透していきました。

中国の貿易商たちは、東南アジアへ進出し、
各地に中国人町を建設していきました。

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