飛鳥時代 アジア中国日本エジプト 飛鳥文化 2015年1月7日 飛鳥文化の寺はこちら 飛鳥文化の彫刻 金銅像が多い。北魏の様式に倣ったものと南梁にならったものとがある。後述する鞍作鳥の作品は北魏の様式である。 法隆寺金堂釈迦三尊像 作者は鞍作鳥(くらつくりのとり)。鞍作鳥は司馬達等の孫にあたる。この像は顔立ちは面長。口元には謎の微笑みがある。それを「古拙の微笑」=アルカイックスマイ... ベルヤン
宋の中央集権化 中国周経済大陸 五代十国時代 2014年10月12日 朱全忠が建てた後梁(こうりょう)は中華大陸を統一することなく、わずか16年で滅び、そののち、後唐、後晋、後漢、後周とたった50年の間に華北で5王朝が入れ替わった。後唐、後晋、後漢は突厥系節度使(沙陀部)が建てた王朝で、後唐(都は洛陽)以外はすべて都は開封(汴州)。後晋は建国時の見返りに、契丹に燕雲十六州を与えた。 後周... ベルヤン
隋・唐時代の繁栄 地方貴族郡官僚 律令体制における民衆支配 2014年5月20日 均田制北魏から始まった土地制度。唐の均田制では、丁男(ていだん・21~59歳の男)中男(ちゅうだん、ちゅうなん・16~20歳)一代に対し、口分田(北魏~隋までの露田)を80畝(ぼ)支給し、丁男に税を課し、永業田(代々世襲・作物は主に桑、隋までの桑田)を20畝、計100畝。永業田でその土地を本籍として戸籍台帳をつくり、確... ベルヤン
隋・唐時代の繁栄 中国北京周滅亡 隋 2014年5月13日 隋の中国再統一 6世紀末、北周の外戚だった楊堅が実権を握り、 581年北周を倒して隋を建国しました。 都を、西周・秦・漢の都が置かれた地に 新しい都大興城を建設し文帝と称しました。 さらに589年、南朝の陳を滅ぼし中国を久々に再統一しました。 政治制度 土地制度は北魏の均田制を継承したが、奴婢・耕牛への給田が廃止された... ベルヤン
魏晋南北朝 中国思想改革仏教 道教の成立 2014年5月13日 秦・漢時代から始まり、魏・晋時代に最も盛んになった、仙人と長生不死の観念が結合した神仙思想は道教の起源をなす思想で、太平道、五斗米道にも影響を与えた。 魏晋南北朝時代に流行した、無為自然を理想の生き方とする老子、莊子が説いた老荘思想が流行った。 後漢末の太平道、五斗米道を源流とした中国固有の道教は北魏時代に教団を確立し... ベルヤン
魏晋南北朝 アジアインド中国遷都 中国での仏教の受容 2014年5月12日 4世紀初めに西域の亀茲国から仏図澄(ぶっとちょう・ブトチンガ)が洛陽に来て、布教を行い仏寺約900所を建立し、門下生は1万人に及んだ。 5世紀初めに父がインド人で亀茲国出身の僧・鳩摩羅什(くまらじゅう・クマーラジーヴァ)が長安に迎えられて、法華経・阿弥陀経などの仏典の漢訳と教理の中国定着に大きく貢献した。 また、経典収... ベルヤン
魏晋南北朝 中国発展農業思想 魏晋南北朝の文化 2014年5月10日 三国時代の呉~東晋・南朝までの、建業・建康を都とした江南王朝の文化を貴族文化(六朝(りくちょう)文化)という。 貴族の間で、道徳や規範に縛られない趣味の世界が好まれた。文化人の間では、老荘思想の発展である清談が流行。清談家として、世俗を避けて竹林で会した「竹林の七賢」が有名。 絵画では東晋の顧愷之(こがいし)(画聖)(... ベルヤン
魏晋南北朝 周乱社会農民 魏晋南北朝の社会~土地制度編~占田課田法・屯田制など 2014年5月9日 魏の屯田制 漢時代の軍屯 漢代の国境周辺で行われていた 平時は農民として耕し、戦時は兵士として戦う、兵農一致の制度のことです。 これを軍屯といいます。 魏の民屯 魏の曹操は軍屯とは別に、 戦乱のため荒れた土地を国有化し、 人民を募集して、耕させて、その収穫の5~6割を小作料として徴収する土地制度を作りました。 これを... ベルヤン