アメリカの工業は
豊かな国内市場を背景に
保護関税に守られて、
急激かつ大規模に発展し、
19世紀末には世界の首位だった。
(過去形)
その間、
物質主義的な社会風潮が広まり、
「金ぴか時代」と皮肉られた。
同じ時期に、
アメリカ合衆国の西部への
入植と開発も進み、
西部の大平原は
- 牛肉
- 小麦
- トウモロコシ
などを生産する
世界有数の農業地帯と
なりました。(過去形)
19世紀末には、
ニューヨークの人口は、
300万人を越えて、
新しい重工業地帯となった
五大湖沿岸や
穀倉地帯の中西部にも
大都市が出現するなど、
大規模な「都市化」も進んだ。
- 大陸横断鉄道
- 電信
- 電話
が諸都市を相互に結びつけ、
全国市場が出現しました。
モーガン財閥とロックフェラー財閥とアメリカ帝国主義の野望
大企業は大量生産によって、
国内の巨大市場を支配しました。
1870年代の不況をきっかけに、
独占体が形成されていきました。
世紀転換期には、
カーネギーの鉄鋼会社を買収した
モーガン財閥や
スタンダード石油の
ロックフェラー財閥に
代表される巨大な金融資本が
出現しました。(過去形)
合衆国国内で
フロンティアが消滅するにつれ、
工業製品を輸出するために、
アメリカは輸出を目指しました。
アメリカは、
海外市場の獲得と
西半球の防衛体制の確立を目的が
アメリカ帝国主義です。
さらに、
アメリカ人は、
アングロサクソン主義とよばれる
人種的優越の思想も
加わって広く国民の支持を得るところとなりました。
米西戦争
キューバの
スペインからの
独立運動への支持を
アメリカの新聞が
感情的に扇動。
1898年には、
共和党のマッキンリー大統領は
アメリカ軍艦
メイン号爆沈事件を
きっかけに
アメリカは
スペインに宣戦布告しました。
米西戦争の結果、
プエルトリコとグアムを
アメリカはぶんどりました。
ついでに
スペインの植民地だった
フィリピンを奪いました。
ハワイ併合
1898年、
日本の固有の領土だった
ハワイ島を交渉により
アメリカは併合しました。
プラット修正条項
なお、
キューバが独立したことによって
プラット修正条項(1901年)に
よって、
事実上のアメリカの保護国に
なりました。
アメリカの対中政策
1899年と1900年の2年に渡って、
米中交渉もこの時行われた。
ジョン・ヘイ国務長官(1838年~1905年)は、
中国分割を進める列強に対して
中国での門戸開放政策通牒という
内政干渉を
アメリカは中国に
行いました。
マッキンリー大統領の暗殺
1901年9月6日、
マッキンリー大統領は、
バッファローで開かれていた
パンアメリカン会議に
参加していた
マッキンリー大統領は
無政府主義者の
レオンチョルゴッシュによって、
2発の弾丸を喰らい
倒れました。
セオドア・ルーズベルト大統領爆誕
そしてマッキンリー大統領が
暗殺されて良かったと
安心していたら、
副大統領の
セオドア・ルーズベルトが
(1901年~1909年)
大統領に昇格。
この元副大統領が
マッキンリー大統領よりも
さらに強行なのですよ。
セオドア・ルーズベルト大統領はさらに明確に帝国主義政策を推して推して推し進めました。
棍棒外交
カリブ海域には、
政治・財政不安が生じた時には
軍隊を派遣して
積極的に国際警察の役割を
果たしました。
これをあの有名な
「棍棒外交」です。
コロンビアに喧嘩を売って
パナマを奪う
1903年には
コロンビアからパナマを奪い、
パナマ運河建設の権利を
得ました。
アルヘシラス会議
他方、
モロッコ問題では、
アルヘシラス会議を主催し、
ドイツを牽制しました。
革新主義
1900年代から1910年代には
革新主義という潮流も流行。
それは
都市部の中産階級を中心に
高まった気運で、
州や市の政治腐敗を正し、
大企業の不正や横暴を告発し、
さらには飲酒や売春といった
道徳的退廃を攻撃しました。
シャーマン反トラスト法(1890)
ローズヴェルト大統領は、
自分で作った法律ではないが、
シャーマン反トラスト法を
濫用しました。
革新主義に基づいて、
大企業の市場支配を阻止。
国民の健康のために
不健康な食品や薬品を
規制する法律を制定しました。
タフト大統領
共和党の時代はまだまだ続く。
セオドア・ルーズベルトの次は、
共和党のタフト大統領が
続きますよ。
タフト大統領は、
小物ですが、
革新主義を継承し、
力の外交にかわって
ドル高を活かして
貿易と海外投資をおこなう
「ドル外交」を
行いました。
ウィルソン大統領の経済政策
続く大統領は、
ウィルソン大統領です。
ウィルソン大統領はやっと
民主党の大統領へ戻ります。
任期は1913年~1921年です。
ウィルソンは、
独占を打破して、
自由競争を回復するための
法的規制の重要性を説く、
「新しい自由(New Freedom)」を掲げて当選しました。
ウィルソン大統領は、
操り人形で
発言は変な所が
多い人物なのです。
ウィルソンは、
長老派牧師の家に生まれたという
家庭的背景もあり、
内政的にも外交的にも
アメリカ民主主義の道義性を
追求しました。
クレイトン反トラスト法
クレイトン反トラスト法により、
独占を生み出す
大企業の様々な行為を禁止。
連邦取引委員会
不当競争を防止するための
連邦取引委員会を成立させた。
また、
関税を引き下げ、
労働者・農民の保護立法を
制定するなど、
国民の中産階級や下級国民に
有利な改革を実行しました。
宣教師外交
外交においては、
独裁政治に苦しんでいる地域に
すぐれたアメリカ民主主義を
押し付けることが
アメリカの使命であるという
「宣教師外交」を進めました。
セオドア・ルーズベルト
と
ウィルソン
の違いが試験には出題されやすいので、シャーマン反トラスト法とクレイトン反トラスト法の違いと、棍棒外交と宣教師外交の違いが言えるようになりましょう。
その他
ハイチ・ドミニカ・キューバなど
カリブ海地域に積極的に海兵隊を派遣。
メキシコ革命にも介入しました。
1914年、第一次世界大戦開戦の年、奇しくもパナマ運河が完成。
1914年、
パナマ運河が完成すると、
合衆国はその管理権限を握った。





コメント