比叡山って、
何回も炎上してるの知ってますか?
大河ドラマで東海ルートの戦国時代の主人公が選ばれると、毎回焼かれるのがお約束の延暦寺。今日は普段と違う焼かれ方の歴史をお伝えしたいと思います。
朝倉家vs細川京兆家
元々、足利将軍家は京都の大名ではあるものの、京都は讃岐を中心に瀬戸内海や四国を地盤にしている細川京兆家が三管領家の筆頭として君臨していました。
そんな中で、越前の大名は朝倉家はいつも匿うんですが、いつものように将軍をこの時も保護していた訳です。でそれが、足利義稙が上洛すると噂がたち、比叡山の門徒は、朝倉家とは仲が良いので、それを歓迎したんですよね。
で、足利義稙は実際、一乗谷を出発して敦賀に翌日には到着していました。
近江坂本での細川vs足利
で、都に戻る大チャンスだと捉えた足利義稙は、3000の兵と共に、比叡山に出向き、比叡山の門徒と共に細川京兆家の軍勢と戦ったものの敗戦。細川京兆家の細川政元の勝利となった。で、足利義稙は比叡山に落ち延びました。
13世紀の比叡山焼き討ち
そこで、近江国では
1499年(明応三年)7月、
足利将軍家に味方する姿勢を見せた比叡山延暦寺は、細川京兆家の重臣赤沢朝経と波々伯部宗量などの手によって、比叡山に篭った門徒を焼き討ちされて、
比叡山は讃岐の細川京兆家の手によって、7月11日一斉に火を放ち、戒壇院以外の根本中堂や大講堂、常行堂、法華経、経蔵など九つの堂舎を焼き払いました。
赤沢朝経vs畠山尚順
で、足利義稙側の勢力である河内畠山家の畠山尚順は9月5日に河内から細川京兆家の領内である摂津に侵攻。畠山尚順には、9月末には細川家の反撃にあい、河内畠山家派の大和勢力である筒井順賢や十市遠治が細川京兆家領の山城国の槇島城などを奪います。しかし、細川京兆家の逆襲に遭い、12月には細川政元と畠山尚順は摂津・天王寺の戦いで、河内畠山家は敗走して紀伊に帰ります。
比叡山の再建
比叡山の再建はいつものようにされて、
細川高国政権の時に1518年に再建されます。
まぁ、政治や自然災害があっても、
約20年あれば復興するってことです。
まとめ
歴史は繰り返さないが韻を踏むっていう事例ですよね。
令和8年3月5日現在の首相が大和勢力で、
与党も河内勢力で、
赤沢さんも絡むし、
野党も中道の党首も国民民主の党首も讃岐人。
面白いですね。





コメント